春日野道駅 (阪神)
春日野道駅(かすがのみちえき)は、兵庫県神戸市中央区吾妻通一丁目にある、阪神電気鉄道本線の駅[1]。駅番号はHS 31。
春日野道駅 | |
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1号出入口(2020年9月) | |
かすがのみち Kasuganomichi | |
◄HS 30 岩屋 (1.1 km) (1.3 km) 神戸三宮 HS 32► | |
所在地 | 兵庫県神戸市中央区吾妻通一丁目1番131号 |
駅番号 | HS31 |
所属事業者 | 阪神電気鉄道 |
所属路線 | 本線 |
キロ程 | 30.8 km(大阪梅田起点) |
駅構造 | 地下駅[1] |
ホーム | 2面2線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
7,101[2]人/日(降車客含まず) -2022年- |
乗降人員 -統計年次- |
15,009人/日 -2023年- |
開業年月日 | 1905年(明治38年)4月12日[1]* |
歴史
編集阪神電気鉄道
編集- 1905年(明治38年)4月12日:阪神本線の開業と同時に開業[1]。開業当初は現国道2号線の北側の2車線道路のところにあった。
- 1933年(昭和8年)6月17日:地下線化に伴い、一旦廃止。
- 1934年(昭和9年)5月1日:地下駅として新規開業。
- 1968年(昭和43年)4月7日:山陽電気鉄道が神戸高速鉄道東西線を経て大石駅までの直通運転を開始。
- 1995年(平成7年)
- 1998年(平成10年)2月15日:山陽電気鉄道、山陽特急の阪神本線乗り入れを三宮駅までに短縮。当駅に停車する山陽の列車はS特急と普通に限定される。
- 2001年(平成13年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)8月7日:バリアフリー設備・ホーム延伸部の使用を開始。
- 2006年(平成18年)
- 2014年(平成26年)4月1日:駅番号導入[4][5]。
神戸市電
編集- 1910年(明治43年)4月5日:神戸電気鉄道の開業と同時に開業。開業当初の春日野道電停は旧阪神春日野道駅南側直角になっていた。現在の春日野道商店街のすぐ東側にあった[6]。
- 1913年(大正2年)5月1日:神戸電気へ社名変更時に同社の電停となる。
- 1917年(大正6年)8月1日:神戸市電気局へ組織名変更時に同局の電停となる。
- 1932年(昭和8年)9月21日:神戸市電東部国道線開業時に春日野道電停は国道沿いの現在の阪神春日野道駅の地上付近に移転。
- 1942年(昭和17年)5月19日:神戸市交通局へ組織変更時に同局の電停となる。
- 1968年(昭和43年)4月21日:神戸市電廃止と同時に同電停も廃止。
駅構造
編集国道2号の真下に相対式ホーム2面2線を有する地下駅である[1]。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。
2004年(平成16年)9月25日始発から新ホームに切り替えられ、三宮方に西改札口が新設された。2005年(平成17年)8月6日までは仮使用状態でホーム有効長が19 m級の阪神車5両編成分しかなく、平日朝に停車する東須磨行準急6両編成は三宮方1両をドアカットしていた。このため、阪神赤胴車6両編成の三宮寄り先頭車(1号車)には「下り春日野道駅ではこのドアは開きません」というステッカーが貼られていた[注釈 1]。東改札口および新地下道設置工事が進捗した同年8月7日から旧ホームと同様に阪神車6両編成が停車可能となったが、21 m級の近畿日本鉄道車両6両編成の停車は不可能である。
2006年(平成18年)10月28日のダイヤ改正以降は6両編成の停車はなくなっているが、緊急停車においてはその限りではない[注釈 2]。
2004年までの旧ホームは、ホームから線路を挟んだ反対側(上下線間)に一部施設が未撤去の状態で残っており、ホームから見ることができる。
のりば
編集番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■本線 | 上り | 尼崎・大阪(梅田)・難波・奈良方面 |
2 | 下り | 神戸(三宮)・明石・姫路方面 |
実際には構内に上記ののりば番号表記はないが、公式サイトの構内図では上りホームが1番線、下りホームが2番線とされている。
← 梅田方面 |
→ 三宮・元町方面 |
|
凡例 出典:[8] |
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東口
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東改札口
-
西改札口
-
大阪方面行きホーム
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姫路方面行きホーム
-
土木学会技術賞受賞のプレート
「日本一幅の狭いホーム」
編集1934年(昭和9年)から2004年まで、当駅は島式ホーム1面2線の地下駅であり、ホームの幅はわずか2.6 mだった。これは電車の車体の幅(約2.8 m)よりも狭い。「日本一危ない駅」や「日本一怖い駅」[1]として、『ニューススクランブル』(読売テレビ)や『投稿!特ホウ王国』など全国ネットのテレビ番組で取り上げられたこともある。
岩屋 - 三宮間地下化工事は、大林組の施工により1931年2月着工、1933年6月に開通した。春日野道新駅は、地下化の翌年である1934年5月1日に開業した。
社史類には記述はないが、この狭いホームは以下のような経緯で成立したと言われている。春日野道駅は、1933年に岩屋駅以西が地下化される際に廃止される予定であった。しかし、当時駅周辺は川崎製鉄などの工場地帯で、沿線住民に加えて多くの工場労働者が当駅を利用しており、その反対を受け、地下化直前に駅存続へと方針転換されたという。
しかし、実際には1929年8月の施工認可申請の時点で春日野道新駅設置の計画は既にあり[9]、1930年11月時点でも計画に変更は無かった[10]。当初は幅3 m×長さ120 mでホームが建設されたが、その後の車体拡幅によりホームが上下各0.2 m削られ、幅2.6 mになった。1986年に公布された鉄道事業法ではホームの幅を原則3 m以上と規定している。
こうして線路に挟まれた幅わずか2.6 mのホームが出来上がったが、さらにホーム中央には一定間隔毎に地下トンネル特有の太いコンクリート柱があったため、柱からホームの端までは子ども1人が両手を横に広げた程度であった。当駅を電車が通過する際は、幅の狭さと地下駅ゆえの強い列車風により、危険であったため、阪神も以下に挙げられる様々な対策をとっていた。
- 待合用のベンチはホームではなく改札口横の一角に設置され、その場所が待合空間として利用されていた。ホームには柱間に金属製の安全柵が設置された。
- 電車接近時の案内放送は、以下の通りだった。
- 待合空間では、到着電車接近時に、「まもなく、(大阪/神戸)方面行電車がまいります。ホームへお越し下さい」という駅独自の自動音声が、ホームまでの階段移動時間も考慮して流れるようになっていた。自動音声の直前に阪神標準の電車接近予告メロディが流れたが、この待合空間だけは到着電車の接近を知らせるにもかかわらず、通過電車接近用のメロディが使われていた。
- ホームでは、電車接近時に他駅と同様の自動音声並びに冒頭のメロディに加えて、踏切警報機音と壁に設置された電車接近を知らせる電光表示器(橙色の「電車が来ます・ご注意下さい」のLED表示と4つの矢印が時間差で点滅)により、聴覚的・視覚的に到着および通過電車の接近を警告した。
- 通過電車は長らく75 km/h程度で通過していたが、やがて45 km/hに制限され、駅進入時に警笛を鳴らすようになった。この他、当駅と同じ地下駅の岩屋駅、西元町駅、福島駅を通過する列車も警笛を鳴らす。(大開駅、西代駅通過時は警笛吹鳴は行わない)。
幅の狭い危険なホームであったが、阪神による上記の対策、及び駅構造を要因とする利用者自身の注意喚起があった結果、設置から廃止までの70年間、無事故であった[1]。
新ホームへの切り替え
編集旧ホームが廃止された背景として、危険の回避、ダイヤ編成上のネックの解消がある。また、地下化時の当駅存続運動のきっかけとなった近隣の工場群が移転し、跡地がHAT神戸として再開発が進んだことも挙げられる。再開発の計画時期には阪神・淡路大震災が発生し、建設されていた公営マンションに家を失った多くの人々、とりわけ高齢者が暮らすようになった。これを機に、バリアフリー・ユニバーサルデザイン・災害時の避難経路複数確保を考慮に入れたホームを含めた駅全体の改良工事が必要になり、諸検討の結果、「既設の島式ホームは廃止し、相対式ホームを新設するのが適当」となった。
新ホームは、線路は従来のままに存置し、かつ営業運転を継続したままで、旧ホームの反対側の地下トンネルの壁を開削・拡幅して、旧ホームの線路を挟んだちょうど反対側に設置されることになった[1]。鉄道駅総合改善事業により法的に神戸高速鉄道が事業主体となることで国・兵庫県・神戸市から補助金を受け、2001年(平成13年)11月6日に改良工事が開始された。そして、2004年9月25日初発から新ホームに切り替えられ、日本一幅が狭いと言われた旧ホームはその役目を終えた。同時に、通過電車の速度も開業時の75 km/hに戻されている。旧ホームはその後安全柵が撤去されて補強用柱などが取り付けられたものの現存し、新ホームや電車内から見ることができる[1]。またコンコースには旧ホームや周辺の風景が掲示されている[1]。
新ホームは、旧ホームよりも約1両分大阪側にずらして設置された。新ホーム使用開始時に、ホームの有効長が一時的に5両編成分しかなかったのは、開削することになった大阪側1両分のトンネルの壁がアーチ構造、つまり線路と新ホームの間に立ちはだかる壁だけで上層部を支えていたことによる。この壁を撤去するにはアーチごと撤去しなければならないが、アーチ上層部には旧ホームにとって唯一の改札口があったため、壁を撤去する前に改札口を別に確保する必要があった。そこでまず西改札口および新ホームのうち、アーチ構造に関係しない5両編成分のみを完成させてアーチ撤去期間中の改札口を確保し、そして実際にアーチごと壁を撤去することになったのである。そして、撤去されたアーチの跡地には東改札口が開設され、新ホームとの間を連絡するエレベーターと上りエスカレーターが設置された。なお、地下道の一部は旧ホーム時代のまま残っている。
利用状況
編集HAT神戸の開発進展と前後して、利用者数は増加傾向にある。2023年時点では11月平均の乗降人員は打出駅に次いで第20位であり[11]、阪神本線の各駅停車のみが停車する駅の中では最も利用者数が多い。
1日あたりの乗降人員 15,009人(2023年11月)[11]
各年11月の1日平均乗降人員は下記の通り。
年度 | 1日平均 乗降人員 |
出典 |
---|---|---|
1996年 | 9,897 | [13] |
1999年 | 8,182 | [14] |
2001年 | 9,590 | [15] |
2002年 | 9,018 | [16] |
2003年 | 10,553 | [17] |
2004年 | 10,341 | [18] |
2005年 | 10,790 | [19] |
2006年 | 10,917 | [20] |
2007年 | 10,065 | [21] |
2008年 | 11,290 | [22] |
2009年 | 11,811 | [23] |
2010年 | 11,573 | [24] |
2011年 | 12,432 | [25] |
2023年 | 15,009 | [11] |
近年の1日平均乗車人員は下表のとおりである。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
2018年(平成30年) | 8,060 |
2019年(令和元年) | 8,057 |
2020年(令和 | 2年)6,063 |
2021年(令和 | 3年)6,452 |
2022年(令和 | 4年)7,101 |
駅周辺
編集阪急神戸本線にも同じ駅名の春日野道駅があるが、JR神戸線(東海道本線)の線路を越えたところにあり、直線距離で約450 m離れている。両駅の間には春日野道商店街がある。なお、阪急春日野道駅もホームの幅が狭く、阪神側が改良されてからは阪急側の方が狭くなっている。
東口
編集西口
編集- 兵庫県葺合警察署
- 神戸市生涯学習支援センター(コミスタこうべ)
- 神戸日暮通郵便局
- 大安亭市場(おおやすていいちば)[1]
- 神戸ものづくり職人大学
バス路線
編集停留所名[27][28] | 運行事業者 | 路線名・系統・行先 |
---|---|---|
春日野道 | 阪神バス | 西宮神戸線:神戸税関前 / 阪神西宮 |
筒井町3丁目 | 神戸市バス | 101系統:三宮駅ターミナル前 |
神戸市電春日野道電停
編集1910年(明治43年)4月5日に、神戸電気鉄道(現在の神戸電鉄とは無関係)が開通した際に設置された。当時は南北方向の終点であったが、1932年(昭和8年)9月21日には敏馬(廃止時には脇浜町)まで開業した際に東西方向の途中停留所となった。当停留所近くには車両基地があった。1968年(昭和43年)4月21日に神戸市電東部国道線が廃止となった際と同時に廃止となった。阪神春日野道駅改札外地下通路に写真が掲げてあり、当時の阪神春日野道駅の出入口と隣接する車両基地が写っている。写真は阪神の地下入口があるため昭和9年以降のものであると推測される。
隣の駅
編集かつて存在した路線
編集- 阪神電気鉄道
- 本線(旧線)
- 脇ノ浜駅 - 春日野道駅 - 新生田川駅
- 神戸市交通局(神戸市電)
- 東部国道線
- 吾妻通4丁目 - 春日野道電停 - 脇浜3丁目
- 神戸電気鉄道
- 南本町1丁目 - 春日野電停
- * 春日野道電停が終点だった頃は阪神旧駅に対し直角となっていた。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『兵庫の鉄道全駅 私鉄・公営鉄道』神戸新聞総合出版センター、2012年12月10日、28頁。ISBN 9784343006745。全国書誌番号:22185464。
- ^ a b c “神戸市統計書”. 神戸市. 2024年12月18日閲覧。
- ^ 「阪神電鉄 春日野道駅の改良工事に11月6日着手」阪神電気鉄道・神戸高速鉄道、2001年10月25日。この資料に「改良工事は、鉄道駅総合改善事業として国、兵庫県および神戸市の補助を得て、神戸高速鉄道が事業主体となり実施するもので、工事の施行は神戸高速鉄道から委託を受け、阪神電気鉄道が行う」という記述が見られる。
- ^ 『阪神「三宮」を「神戸三宮」に駅名変更、駅ナンバリングを導入し、すべてのお客さまに分かりやすい駅を目指します』(PDF)(プレスリリース)阪神電気鉄道株式会社、2013年4月30日。オリジナルの2016年4月8日時点におけるアーカイブ 。2016年4月8日閲覧。
- ^ 「[アラカルト]3月20日=兵庫 ◆駅ナンバリング、神鉄が導入」『読売新聞』読売新聞大阪本社、2014年3月20日、大阪朝刊、32面。
- ^ “實地踏測神戸市街全圖(昭和5年6月10日印刷、昭和5年6月20日発行)”. 所蔵地図データベース. 国際日本文化研究センター. 2023年10月28日閲覧。
- ^ 「阪神電車で停電、緊急停車 三宮―春日野道間、けが人なし」『サンスポ』産業経済新聞社、2023年8月25日。
- ^ 川島令三 編著『東海道ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 大阪エリア-神戸駅、講談社〈図説 日本の鉄道〉、2009年、23頁。ISBN 9784062700177。全国書誌番号:22012275。
- ^ 神戸新聞1929年8月6日「愈設計が出来たので地下乗入を急ぐ阪神 : 免許指令を待たず施行認可を申請 : 岩屋新三宮駅間に停留所は一個所」(神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ新聞記事文庫)
- ^ 大阪朝日新聞1930年11月2日「濃厚な大阪色 : 迷わぬ「色」の停車場」(神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ新聞記事文庫) 佐藤 博之、浅香 勝輔『民営鉄道の歴史がある景観1』(1986年7月、古今書院)p.189によれば、大林組所蔵の1931年当時の資料には「十月上旬 特命 阪神電気鉄道株式会社 神戸岩屋増設線、春日野道停留所工事」などの記述がある。
- ^ a b c ハンドブック阪神2024(PDF)
- ^ ハンドブック阪神 - 阪神電鉄
- ^ 「ハンドブック阪神 1997」阪神電気鉄道株式会社、1997年
- ^ 「ハンドブック阪神 2000」阪神電気鉄道株式会社、2000年
- ^ 「ハンドブック阪神 2002」阪神電気鉄道株式会社、2002年
- ^ 「ハンドブック阪神 2003」阪神電気鉄道株式会社、2003年
- ^ 「ハンドブック阪神 2004」阪神電気鉄道株式会社、2004年
- ^ 「ハンドブック阪神 2005」阪神電気鉄道株式会社、2005年
- ^ 「ハンドブック阪神 2006」阪神電気鉄道株式会社、2006年
- ^ 「ハンドブック阪神 2007」阪神電気鉄道株式会社、2007年
- ^ 「ハンドブック阪神 2008」阪神電気鉄道株式会社、2008年
- ^ 「ハンドブック阪神 2009」阪神電気鉄道株式会社、2009年
- ^ 「ハンドブック阪神 2010」阪神電気鉄道株式会社、2010年
- ^ 「ハンドブック阪神 2011」阪神電気鉄道株式会社、2011年
- ^ 「ハンドブック阪神 2012」阪神電気鉄道株式会社、2012年
- ^ Tecc LIFE SELECT 神戸本店
- ^ “三田駅周辺 運行系統図” (PDF). 神姫バス. 2023年10月23日閲覧。
- ^ “停留所名:岡場駅(4601)”. 阪急バス. 2023年10月23日閲覧。
関連項目
編集- 日本の鉄道駅一覧
- 日本の同一駅名・同一市町村で所在地が異なる駅の一覧
- 美佐島駅 - 地下駅で通過列車があることから、当駅の島式ホーム時代と似た安全対策が取られている駅。
外部リンク
編集- 春日野道駅(路線図・駅情報) - 阪神電気鉄道