旭川市立近文第一小学校
旭川市立近文第一小学校(あさひかわしりつちかぶみだいいちしょうがっこう)は、北海道旭川市東鷹栖にある公立小学校。旭川の近文地区で最初に設立された学校であり[1]、上川支庁管内で最も古い歴史を持つ小学校である[2][注釈 1]。略称は「近文第一小[3][4]」または「近一(ちかいち)[5]」。
旭川市立近文第一小学校 | |
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2024年10月26日撮影 | |
北緯43度49分19.475秒 東経142度24分05.06秒 / 北緯43.82207639度 東経142.4014056度座標: 北緯43度49分19.475秒 東経142度24分05.06秒 / 北緯43.82207639度 東経142.4014056度 | |
過去の名称 |
鷹栖村立第一近文尋常小学校 近文第一尋常小学校 近文第一国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 旭川市 |
設立年月日 | 1897年3月5日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒071-8153 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
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歴史
編集旧東鷹栖村では1890年(明治23年)に地域住民により、寺子屋が開設されていた[4]。翌1891年(明治24年)より北海道全体で、高等小学校の増設が実施され始めた[6]。新たな開拓地での教育施設の増設は容易ではなかったものの、1896年(明治29年)より小学校教育が充実し始めた[6]。
上川においても、近文地区の人口増加[7]、および北海道旭川や永山からの遠距離通学や不就学児童への対応として、1897年(明治30年)3月5日に、鷹栖村立第一近文尋常小学校として本校が開校された[8][注釈 2]。これを機に、東鷹栖村の各地に小学校や簡易教育所を設けようとする気運が向上し、小学校設立が相次ぐなど[10][11]、村内の初等教育が本格化することとなった[12]。
他の小学校が番号順に設立されていた状況から、翌1898年(明治31年)に近文第一尋常小学校と改称[8][9]。学校所在地が大日本帝国陸軍の第7師団の用地となったことなどにより[7]、明治期に2度の移転が実施された[9]。
1938年(昭和13年)に旭川師範学校の代用附属小学校となった後、近文第一国民学校と改称、1966年(昭和41年)に現在の所在地に移転、1946年(昭和46年)に現在の校名に改称された[9]。
1939年(昭和14年)に同窓生により寄贈された時計台は、台座に「時を惜しむ気持ちを」を意味する「惜陰(せきいん)」の2文字が刻まれ、同窓生の心の支えにもなっている[4]。1966年(昭和41年)に校舎の新築に合わせて取り壊されたものの、文字盤部分は同校に保管されていたことから、1995年(平成7年)に開校百周年を記念して復元され、同窓生たちが「時計台に集う会」を開催して、再会を祝い合った[4]。
小説家の安部公房が小学生時代に一時的に本校に通学していたことから、安部公房の没後20年にあたる2014年(平成26年)、東鷹栖の市民団体である東鷹栖安部公房の会により、本校の校庭に記念碑が建立された[3][13]。その後も本校と安部公房との関連を広める目的で、同会による安部公房の作品の朗読会などが、本校で開催されている[3]。
著名な教員として、北海道出身の英語学者である田中菊雄は、大正時代初期に7年間にわたって教員として勤めていた経験がある[14]。田中は当時「人情教師」として慕われ[15]、本校を「母校に次いで懐かしい」と自著で語っている[14]。
教育
編集明るく健康であること、落ち着きがあって物を大切にすること、よく工夫計画して実践すること、礼儀正しく助け合うこと、感謝しあうこと、を教育目標に掲げている[7]。
教育においては、生徒の主体性を重視している[16]。生徒各自の心に触れる指導や、生徒自身が物事を調べて発表するなど、生徒の側に立った授業の工夫などを通じて、喜びと生きがいを与えることにより、自己指導の力を育てることを特色としている[16]。この点において本校は、全教育活動を通じて、全校的な取り組みで成果をあげている[16]。
受賞歴
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “旭川市立近文第一小学校”. 2024年11月3日閲覧。
- ^ a b 東鷹栖村史 1955, p. 238
- ^ a b c 北海道経済 2018, p. 105
- ^ a b c d 「シンボルの時計台を復元 近文第一小「心の支え」の前で同窓会 恩師らと再会祝す」『北海道新聞』北海道新聞社、1995年8月12日、旭A朝刊、20面。
- ^ “近一スタンダード”. 旭川市立近文第一小学校. 2024年11月3日閲覧。
- ^ a b 上川開発史 1961, p. 970
- ^ a b c d 東鷹栖町史 1971, p. 388
- ^ a b 旭川市教育史 1985, p. 50
- ^ a b c d e f “沿革について”. 旭川市立近文第一小学校. 2024年11月3日閲覧。
- ^ 東鷹栖町史 1971, p. 384
- ^ 東鷹栖町史 1971, p. 386
- ^ 旭川市教育史 1985, p. 48
- ^ 田辺恵「安部公房記念碑 近文第一小に建立 2〜3年時通学が縁」『北海道新聞』2014年10月21日、旭A朝刊、22面。
- ^ a b 田中菊雄『わたしの英語遍歴 英語教師のたどれる道』研究社出版、1960年3月1日、294頁。doi:10.11501/2981174。 NCID BN07863124。
- ^ 田中菊雄『現代読書法』講談社〈講談社学術文庫〉、1987年2月10日、267頁。doi:10.11501/12277125。ISBN 978-4-06-158775-5。
- ^ a b c 中野 1984, pp. 14–15
- ^ 「平成元年度(第三十四回ソニー教育資金および8ミリビデオ、テレビ機器 贈呈校発表」『視聴覚教育』第43巻第12号、日本視聴覚教育協会、1989年12月1日、69頁、doi:10.11501/6068422/、国立国会図書館書誌ID:000000010043。
- ^ 「官庁ニュース 11・1〜12 / 上旬」『公益法人』第19巻第1号、公益法人協会、1990年1月1日、28-29頁、doi:10.11501/2826900、NCID AN00327609。
- ^ 「租税教育推進校の小中高校に感謝状 税を知る週間」『北海道新聞』2003年11月13日、旭A朝刊、22面。
参考文献
編集- 中野武房「特集 やる気を育てる生徒指導 自己指導の力をどう育てるか」『北海道教育』第101号、北海道立教育研究所、1984年11月、12-15頁、doi:10.11501/7928696、国立国会図書館書誌ID:000000022082。
- 『旭川市教育史』旭川市教育委員会、1985年3月31日。doi:10.11501/12116872。 NCID BN01663483。
- 『上川開発史』北海道上川支庁、1961年3月1日。doi:10.11501/3021394。 NCID BN04719482。
- 『東鷹栖村史』東鷹栖村、1955年3月25日。doi:10.11501/3025389。 NCID BN06432036。
- 『東鷹栖町史』東鷹栖町、1971年2月20日。doi:10.11501/9490554。 NCID BN07467524。
- 「東鷹栖安部公房の会が近文第一小で音楽と映像を融合させて朗読会」『北海道経済』第597号、北海道経済新報社、2018年9月1日、105頁、NCID AA12683008。