日野資宣

鎌倉時代中期の公卿。日野家光の次男。日野家16代。正二位・権中納言・民部卿。日記『仁部記』。勅撰集『続拾遺和歌集』以下に15首入集。

日野 資宣(ひの すけのぶ)は、鎌倉時代中期の公卿日野家16代当主。

 
日野資宣
時代 鎌倉時代中期
生誕 元仁元年(1224年
死没 正応5年4月7日1292年4月25日
官位 正二位権中納言民部卿
主君 後深草天皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇
氏族 藤原北家真夏流日野家
父母 父:日野家光、母:藤原忠綱の娘
兄弟 資定資宣資兼
養兄弟:光国宗恵
賀茂能継の娘
俊光頼宣
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略歴

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元仁元年(1224年)、15代当主・日野家光の次男として誕生。

官位は正二位権中納言民部卿寛元4年(1246年)から弘安2年(1279年)の間に日記『仁部記』を著した。

正応5年(1292年)、薨去。家督は子・俊光が継いだ。

系譜

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関連項目

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