日本風景論
日本風景論(にほんふうけいろん)は志賀重昂の著書。これに挿入されている挿絵の大部分は雪湖樋畑が、洋風の挿絵は海老名明四が担当している。
沿革
編集初版は、1894年(明治27年)10月に政教社から刊行され、後に文武堂から刊行された。1902年(明治35年)まで増訂が繰り返されつつ、第14版まで至った。初版から第14版までは、青表紙の仮綴じで、木版風景画が折込で収められていた。1903年(明治36年)6月に刊行された第15版からは、クローズ版となった。
その後、岩波書店から1937年(昭和12年)1月に小島烏水の解説をくわえたものが刊行され、1995年(平成7年)9月には近藤信行が校訂を加えたものが刊行された。
また、講談社からも、上・下巻に分けられたものが1976年(昭和51年)9月にそれぞれ刊行された。
構成
編集1. 諸論
- (1)瀟洒
- (2)美
- 鉄宕
- 日本の生物に關する品題
3. 日本には水蒸氣の多量なる事
- (1)日本における水蒸氣の現象
- (2)東山道の水蒸氣(春)
- (3)東海道の水蒸氣(初夏)
- (4)山陰道、北陸道の水蒸氣(夏)
- (5)紀南半島、四国の南半、九州の水蒸氣(秋)
- (6)北海道の水蒸氣(冬)
- (7)山陰道、四国の北半
- (8)迷景
- (9)颶颱
- (10)東京における水蒸氣の現象
- (11)岩石の霉敗
- 日本の水蒸気に關する品題
4. 日本には火山岩の多々なる事
- (1)日本の風景と朝鮮、支那の風景
- (2)日本の火山「名山」の標準
- (3)富士山
- (4)千島列島の火山
- (5)北海道本島の火山
- (6)本州東北の火山
- (7)中部日本の火山
- (8)南日本の火山
- (9)日本火山の緑色
- (10)火口湖
- (11)玄武岩
- [附録]登山の氣風を興作すべし
- (1)登山の氣風を興作すべし
- (2)登山の準備
- (3)花崗岩の山岳
- (4)登山中の注意
- [附録]登山の氣風を興作すべし
5. 日本には流水の浸蝕激烈なる事
7. 日本風景の保護
8. 亜細亜大陸地質の研鑽 日本の地学家に奇語す
9. 雑感(花鳥、風月、山川、湖海の詩畫について)
特徴
編集貝原益軒の『楽訓』上巻から「限りなき楽しみ」の下りが、政教社の初版では裏表紙に、それ以降のクローズ版では冒頭に引用されている。本文の特徴は、漢文などを多く用いているため、地理学書というよりも、文学書のような印象を受ける。内容の特徴としては、欧米や朝鮮半島、中国の土地と比較しつつ、日本の土地やそこに見られる四季や、他の様々な現象が最も優れていると結論付けている。同様に、日本人が最も、自然現象に対する感じ方が敏感であるとも述べている。
また、『日本風景論』は、1894年、つまり日清戦争勃発の年に出版されており、他国の風景と日本の風景を比較し、日本のそれを優位に置いた内容は、日本国民のナショナリズム高揚に貢献した。結果、この『日本風景論』はベストセラーとなり、現在でも岩波書店から出版されていることが示しているように、ロングセラーともなっている。
『日本風景論』に対する評価
編集- 『日本風景論』が出版された当時は、欧米の帝国主義に基づく植民地政策によって、アジア各国において、アジア・ナショナリズムが高揚していく情勢に合った。日本はそのうちには入らないが、近代化に伴う中央集権化によって、ナショナリズムの高揚は同様になされていた。そのなかで、風景論を説くということは、故郷に対するノスタルジアを喚起させ、それを強く印象付けることで、愛国心を養う働きをもった。また、日本を優位におく姿勢から、主戦論的な立場を宣伝する役割も担い、他のアジア大陸にある国々に対する強硬な姿勢を生みだすことにも貢献した[1]。
- 著作権法が制定されていない1894年当時ではあったが、志賀は洋書などからの剽窃を行っていることが、細かく『日本風景論』をみてみるとわかる。特に火山に関する記述において、科学的根拠に基づいたものと、そうでないものがあるが、それは志賀が文献を収集できたかできないかによる。文献を収集できなかった項目については、単なるナショナリズムを高揚させるための文章で埋められている[2]。