修正資本主義
修正資本主義(しゅうせいしほんしゅぎ)、または東亜モデル(とうあもでる、英語: East Asian model)とは、戦後の日本が生み出した経済体制の1つであり、政府が特定の分野に大規模な資金を投入し、民間企業や私人企業の成長を意図的に支援する仕組みのことを指す。
呼称と語源
編集日本国内では、「修正資本主義」と呼ばれている:
- この言葉は1947年に、「経済同友会」の大塚万丈が著した『企業経営の民主化・修正資本主義の構想』という本で初めて用いられていた[1]。
- これは日本特有の呼称であり、海外ではほとんど使われていない。日本語の「修正資本主義」を英語に直訳すると「Modified Capitalism」となるが、英語圏ではこの表現は不自然だと見なされている。
- 戦後(1945年)には、日本がすでにこの経済体制を採用していたが、それ以前には特定の名称が無く、1947年に初めて「修正資本主義」という名称が定着したとされている。
海外諸国では、「East Asian model(東亜モデル)」と呼ばれている:
- 1988年、日本系アメリカ人の吉原邦男(英語名:Kunio Yoshihara)は「East Asian model」という用語を提唱した。これは、日本型資本主義の「政府が自国民による投資や、技術集約型の企業を意図的に促進する」という特徴を説明するために、発明したものである[2]。また、吉原邦男は、東南アジア諸国の経済体制は日本と違って、本物の資本主義ではなく「疑似資本主義」であるため、「Ersatz capitalism(代替資本主義)」という別の用語で形容した。
- 一方、日本国内では、東アジア型と東南アジア型の資本主義を区別せず、どちらも「修正資本主義」という言葉として一括りにされることが一般的である。
日本語ウィキペディアであるため、本稿では日本の慣例に従い、「修正資本主義」という名称を用いて本ページのタイトルとする。
また、「国家独占資本主義」の一形態、もしくはその別称と見なされる意見もある[1][3]。2021年に発足した岸田内閣は、修正資本主義の理念を反映する『新しい資本主義・公益資本主義』という経済政策を掲げ、その後、2024年の石破内閣はこの体制を引き継いでいる。
概要
編集修正資本主義という言葉の中の「修正」とは、資本主義が抱えるさまざまな問題点を緩和・解消し、福祉国家の実現を目指すことを意味する[1]。この思想が生まれた背景には、1950年代の日本の社会環境が大きく関係していた。当時、労働運動や民主化運動が非常に活発化され、資本主義への反発も強まっていた。資本主義の先進国であるアメリカの「ニューディール政策」やイギリスの『ベヴァリッジ報告』の影響を受け、日本も従来の搾取的な側面を持つ資本主義を改革しようと試みていた[3]。
「アジア諸国では、市場だけでは資源を十分に配分できない」という課題を踏まえ、日本政府は特定の企業を優遇することで、経済成長を促進していた[4]。具体的な施策として、国民の銀行資産の強制管理、国有企業の支援、民間企業の育成、欧米先進国への輸出依存、高い貯蓄率の維持などが挙げられていた。また、この体制のやり方は、フランスのデリジスムや、アメリカのネオ重商主義やハミルトン経済学と似ている[5][6]。
修正資本主義は、「国が封建制度から離脱したばかりで、資本主義制度に移行し、農業中心の産業が製造業やサービス業へと転換する」段階で、とくに有用だとされている[7]。日本の経済的成功を受けて、韓国、香港、台湾、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどのアジア諸国も、日本型資本主義を広く採用していた[8]。さらに、この体制は資本主義国にとどまらず、共産圏にも影響を与えていた。1970年代後半に始まった中国の改革開放[9]や、1986年以降のベトナムのドイモイ政策[10]では、「日本の経済的成功に学ぶべきだ」という考えが両国の政策に明確に取り入れられていた。
しかし、1990年代の日本のバブル崩壊以降、アジア各国は日本型の経済モデルに対して大きな疑問を抱き、修正資本主義の威信や信頼性は急速に薄れていきた[4]。現在、この体制を維持している国は日本のみである 。一方、中国と香港は「社会主義的市場経済」へ移行し、韓国や台湾・東南アジア諸国はFDI(外国直接投資)への依存が高い「新自由主義」の方向へ進んでいる。こうして2010年代以降、アジア各国はそれぞれ、日本とはまったく異なる道を歩み、日本型資本主義を徐々に採用しなくなっている[11]。
特徴
編集この経済モデルは、利点と欠点が両方あり、以下で紹介する:
利点
編集貧困率の改善、国民所得の増加
編集第二次世界大戦の終結から、1997年の東アジア金融危機まで、アジア諸国は修正資本主義を採用して急速に経済成長を遂げていた。
この期間、東アジアの発展途上国は経済が、世界の平均成長率の3倍に達しており、大量の外国資本と民間資本を本国へ引き寄せていた[4]。また、貧困の大幅な削減も実現し、最も良い例はインドネシアであった。1970年から1996年の間に公式の貧困ライン以下で生活していた人口の割合が、60%から12%に減少していた[11]。同様に印象的なのは、韓国・台湾・シンガポールなどの新興工業化国は、1980年から1992年にかけて実質賃金が増加しており、平均賃金が毎年5%増加し、製造業の雇用者数は毎年6%増加していた[4]。アジア諸国の経済成長期において、国民の自信は欧米を超え、全体的な生活水準は年々向上していた[11]。
速いGDP成長、対共産国の防御
編集この成功の理由は、輸出指向型経済がもたらした大量の外国直接投資と技術開発にある。後進国は先進国の市場に依存し、GDP(国内総生産)の著しい増加を引き起こしていた。一部の後進国では非常に遅れている場合でも構わなく、韓国のLG・現代・サムスンのような本国の強力な支援を受け続けることで、ようやく成功した例もある。また、この経済体制では、本国の銀行業も政府の干渉を受けているが、政府の権力はそれほど強くなく、逆に銀行側が莫大な権力を持ち、大企業の運営を指導することができる。
これらの後進国の政府は、外国の投資家や銀行に対して「我々は魅力的な国である」と示すため、労働組合、供給、司法、そして良質な公共インフラ(道路・電力・教育など)の提供に努めている。冷戦時代には、投資家だけでなく、欧米の政府、特に米国政府は積極的に民主陣営寄りのアジア諸国を援助していた。アジアの民主国家を富裕にさせることで、これらの国の国民は共産国家がいかに貧しいかを目の当たりにし、自発的に共産主義に対して否定的な感情を抱くようになるという効果がある[4]。
欠点
編集経済危機への対策が無い
編集修正資本主義を採用する国の国民は、不動産価格のバブルやマクロ経済学の誤り、テレビでの専門家による偽情報、ネット上で過剰な愛国思想の拡散により、投資に関する判断が歪められやすい[11]。また、政府が外国資本の流入方向を過剰干渉すると、「投資しにくい国」と見なされ、資金不足ろなる一方、全然干渉しないと、外国資本流入のは不均衡の問題があり、弱い産業はますます弱くなって、社会の経済格差が自動的に拡大してしまう[11]。
1997年の金融危機の際、多くの東亜モデルの国々ではインフレが劇的に上昇し、政府は巨額の対外債務を積み重ねることとなった[4]。さらに、この経済モデルには、危機を引き起こす「副次的要因」が非常に多い。国民は一度「現実での低い幸福度」と「メディアで宣伝された高い生活水準」の間にあまりにも大きなギャップを感じると、投資への信頼は一瞬で失われ、経済危機の渦に巻き込まれ、その後の回復が非常に難しくなる[4]。金融危機以降、これらの国々は「縁故資本主義[11]」、いわゆる「企業が政治家や富裕層の人脈に頼りすぎ、努力している人々が報われない」という悪循環に陥り、単一産業依存の欠点も浮き彫りになり、旅行業に依存しているタイ王国はその最も厳しい例であった。
結果として、アジア諸国は次第に東亜モデルを放棄していく[4]。
既に失敗した国が多い
編集- 日本:経済悪化とともに、日本が開創した東亜モデルの欠点は、年々明らかになってきた。米国コロラド州立大学教授の小沢照友(英語名:Terutomo Ozawa)は、『日本の統制機構と深化した金融困難』という本の中で、「欧米を追い抜くことに執着する産業構成」と「雁行政策の採用」が、日本の1960年~1980年の経済成功と、1990年以降の経済停滞の原因だという意見を述べている[12][13][14]。実際、日本国内ではすでに「失われた30年」と揶揄される経済停滞に直面しており、かつては「失われた10年」と呼ばれていたが、20年が経過しても有効な対処法は見付かっていない。
- 韓国:政府の支援や、定向信用、従業員への規制、明示的および暗黙的な補助金はすべて財閥に流入し、中小企業にとっては市場経済の公正な規律がすでに破壊されていた[11]。韓国政府は財閥が生産性が低く、外国資本が中小企業へ投資しなく、さらに1997年の金融危機で大きな経済的損失を受けた後、躊躇なく東亜モデルを放棄した。
- インドネシア:原材料の輸出に頼りすぎた結果、貿易制限や、特定の団体が輸入の独占が、同国の経済的効率性と競争力を妨げていた[11]。2000年以降、外国投資の質と本国の生産性はともに低下した。
- タイ王国:「市場経済」と「政治変動」が結び付き過ぎることにより、「政治的な事情を優先し、経済的な意思決定が無視される」ことが多発していた。例えば、1996年11月の総選挙のため、金融危機対策の提出は非常に遅れていた。
全体的に見て、中国やベトナムなど一部の国々では情報が不公開であり、データの欠如のため、外国投資の結果を分析することが難しい。たとえ共産圏の国でなくても、多くのアジア国は政策の透明性を欠き、公共のインフラプロジェクトや一時的な免税措置の決定においても、しばしば問題が生じている[11]。
出典
編集- ^ a b c 佐々木秀太. “修正資本主義(『日本大百科全書』)”. ジャパンナレッジ(NetAdvance). 2019年2月7日閲覧。
- ^ Kunio Yoshihara, The Rise of Ersatz Capitalism in South-East Asia, ISBN 978-0-19-588888-1, ISBN 978-0-19-588885-0
- ^ a b 揺籃から墓場まで(『ブリタニカ国際大百科事典小項目電子辞書版』). ブリタニカ・ジャパン. (2016)
- ^ a b c d e f g h Danju, Ipek; Maasoglu, Yasar; Maasoglu, Nahide (8 January 2014). “The East Asian Model of Economic Development and Developing Countries”. Procedia - Social and Behavioral Sciences 109: 1168–1173. doi:10.1016/j.sbspro.2013.12.606.
- ^ Berger, Peter L. "The Asian Experience & Caribbean Development." Worldview 27, no. 10 (1984): 4-7.
- ^ Schmidt, Johannes Dragsbaek. "Models of Dirigisme in East Asia: Perspectives for Eastern Europe." In The Aftermath of ‘Real Existing Socialism’in Eastern Europe, pp. 196-216. Palgrave Macmillan, London, 1996.
- ^ Sawada, Yasuyuki (2023), Estudillo, Jonna P.; Kijima, Yoko; Sonobe, Tetsushi, eds., “Structural Transformation and Development Experience from Asian Countries” (英語), Agricultural Development in Asia and Africa: Essays in Honor of Keijiro Otsuka, Emerging-Economy State and International Policy Studies (Singapore: Springer Nature): pp. 257–269, doi:10.1007/978-981-19-5542-6_19, ISBN 978-981-19-5542-6 2023年12月12日閲覧。
- ^ Kuznets, Paul W. (April 1988). “An East Asian Model of Economic Development: Japan, Taiwan, and South Korea”. Economic Development and Cultural Change 36 (S3): S11–S43. doi:10.1086/edcc.36.s3.1566537.
- ^ Baek, Seung-Wook (January 2005). “Does China follow 'the East Asian development model'?”. Journal of Contemporary Asia 35 (4): 485–498. doi:10.1080/00472330580000281.
- ^ Leonardo Baccini, Giammario Impullitti, Edmund Malesky, "Globalisation and state capitalism: Assessing the effects of Vietnam’s WTO entry" Vox EU 17 May 2019Archived 24 March 2015 at the Wayback Machine.
- ^ a b c d e f g h i Singh, Ajit (2002). “Asian capitalism and the financial crisis”. In Eatwell, John; Taylor, Lance. International Capital Markets: Systems in Transition. Oxford University Press. pp. 339–368. ISBN 978-0-19-514765-0
- ^ “Institutions, Industrial Upgrading, and Economic Performance in Japan” (英語). www.e-elgar.com. 2024年12月31日閲覧。
- ^ “Terutomo Ozawa | East Asia Forum | East Asia Forum” (英語). 2024年12月31日閲覧。
- ^ “Terutomo Ozawa - The Mathematics Genealogy Project”. www.mathgenealogy.org. 2024年12月31日閲覧。