日本倶楽部

1898年に設立された、日本の会員制社交クラブ

一般社団法人日本倶楽部(にほんくらぶ、: Nihon Club)は、日本の一般社団法人明治期日本の政府指導者層によって1898年明治31年)に設立された、会員制の社交クラブである。

一般社団法人日本倶楽部
日本倶楽部が区分所有する国際ビルヂング
日本倶楽部が区分所有する国際ビルヂング
団体種類 一般社団法人
設立 1898年明治31年)6月6日[1]
所在地 日本の旗 日本
東京都千代田区丸の内 3丁目1番1号 国際ビルヂング8階[2]
北緯35度40分36.336秒 東経139度45分39.992秒 / 北緯35.67676000度 東経139.76110889度 / 35.67676000; 139.76110889座標: 北緯35度40分36.336秒 東経139度45分39.992秒 / 北緯35.67676000度 東経139.76110889度 / 35.67676000; 139.76110889
法人番号 7010005003726 ウィキデータを編集
主要人物 小村武(会長)[3]
主眼 会員相互の親睦・交流、会員の品格識見の向上、社会一般の発展に寄与すること(定款第3条)
活動内容 会員相互の親睦を深めるための行事の開催、公益事業を行う団体の助成など(定款第4条)
収入 入会金300,000円・月会費9,000円(通常会員の場合。家族会員・地方会員・法人会員の場合はこれと異なる。)[4]
基本財産 15億3,612万1,212円(公益目的財産残額)
(2021年3月31日時点)[5]
従業員数 事務室職員15人(1999年3月末時点)[6]
会員数 452人(2023年1月末時点)[2]
ウェブサイト 一般社団法人日本俱楽部
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概要

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  • 明治政府欧化政策を推し進めて、社交界の文化が取り入れられる中で、先行の交詢社東京倶楽部や華族会館(現「霞会館」)などと共に発足した点で、本倶楽部は社交クラブの草分け的存在である。会員制組織のメルクマールにあたる、会員がもともと帰属する母集団の同質性(例えば、イギリスの階級社会における貴族階層の場合など)に着目した場合に、本倶楽部における発足当初の会員は、主に「政・官財界人、軍人などで、政界人では大臣経験者、官界人では勅任官級以上、財界人では社長級の重要役員、軍人では将官級というような人物」(創立百周年記念祝賀会会長挨拶から引用[7])に代表される指導者層で構成されていたことが挙げられる。[注釈 1]
  • 歴代会長の顔ぶれを見ると、初期の頃はもと幕藩体制の旧藩主に始まって、貴族院議員経験者が続いていて、その後も旧内務自治官僚や検察官等法務官僚などの高級官僚出身者の系譜が連なっており、今日でも政・官界の指導者層経験者で会員が構成されていることが現れている。現行の役員においても官界の元高級官僚が多く認められる[8]
  • 設立当初の会員数は100人強でスタートしたという[9][10]。明治期で200人、300人規模と増え、大正期にかけて400人規模から800人規模までに増加し、その後、1940(昭和15)年度中に1,000人余に至っている[11]終戦後、一時期は公職追放の影響もあってか千人を割っているが、1960年代は1,100人規模で推移し、1976(昭和51)年度末の1,340人がピークであった(法人会員数は1963(昭和38)年度末の86社が最多)[12]。1998(平成10)年度末は1,068人を保っていたが[13]、続く約20年間で半減しており、会員の死去という自然減少によるところが大きい。2023(令和5)年1月末時点、会員数452人[2]
  • 女性会員の第1号は、2001(平成13)年3月に入会した佐藤欣子検察官出身)であった。以降、門戸が開放されて女性会員数が17人に増えている[12]。また、役員の中にも女性理事が含まれている[8]
  • 入会に際しては、既会員2人の紹介を要することが謳われており[14](本倶楽部の定款第6条も参照[15]、また、入会金についても大学の入学料[16]に引けを取らない金額を要することは、会員の同質性を保つ上での障壁として機能を果たしている。[注釈 2]

沿革

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<この節の主な出典:[23][24]

歴代会長

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<この節の主な出典:[32][23][33]

代数 人物 経歴等 選任年月日 備考
初代 岡部長職 貴族院議員、岸和田藩藩主 1898明治31)年06月06日
02代 徳川家達 貴族院議員、徳川宗家第16代当主 1925大正14)年05月13日
03代 阪谷芳郎 貴族院議員、東京市長 1940昭和15)年10月07日
04代 原 嘉道 枢密院議長 1942(昭和17)年05月26日
05代 水野錬太郎 貴族院議員、文部大臣内務大臣 1944(昭和19)年09月14日
06代 幣原喜重郎 内閣総理大臣 1946(昭和21)年06月21日
07代 岩田宙造 貴族院議員、司法大臣 1952(昭和27)年04月09日
08代 小原 直 法務大臣検察官 1966(昭和41)年04月26日
09代 堀切善次郎 東京都公安委員長、内務大臣 1966(昭和41)年11月24日
10代 小林俊三 最高裁判所判事 1978(昭和53)年07月24日
11代 飯沼一省 都市計画中央審議会会長、旧内務省官僚 1982(昭和57)年07月14日
12代 土屋正三 旧内務・警察官僚山梨県知事群馬県知事 1983(昭和58)年06月02日
13代 井本臺吉 検事総長 1987(昭和62)年06月05日
14代 鈴木俊一 東京都知事 1995平成07)年06月07日
15代 神谷尚男 検事総長 2003(平成15)年06月04日
16代 奥野誠亮 衆議院議員、旧内務・自治官僚 2005(平成17)年06月03日
17代 三好 達 最高裁判所長官 2009(平成21)年05月03日
18代 石原信雄 内閣官房副長官 2013(平成25)年05月27日 [注釈 4]
19代 井嶋一友 最高裁判所判事、最高検察庁次長検事 2019令和元)年 5~7月頃
20代 小村武 大蔵事務次官日本政策投資銀行総裁 2023(令和05)年06月 [35]

脚注

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注釈

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  1. ^ この点、今日の公式サイトでの説明として、サイトの固定ヘッダーに「明治31年当時の各界の名士により設立、以来120年以上の伝統を持つ由緒ある倶楽部です」との記載が掲げられていて、常に強調されている。
  2. ^ 参考までに、入会金の金額について任意の時点を比較すると、1952年(昭和27年)変更の時点で通常会員10,000円(法人会員50,000円)[17]、1964年(昭和39年)変更の時点で50,000円(法人会員150,000円)[18]、1973年(昭和48年)変更の時点で200,000円(法人会員600,000円)[19]、1976年(平成51年)変更の時点で300,000円(法人会員900,000円)[20]と推移し、現行に至っている(家族会員等の特例について記載を省略)
    ちなみに、会費の金額についても、1952年(昭和27年)変更の時点で月300円(法人会員同じ)[17]、1969年(昭和44年)変更の時点で月1,500円(法人会員4,500円)[21]、1975年(昭和53年)変更の時点で月3,500円(法人会員10,500円)[20]、1990年(平成2年)変更の時点で月5,000円(法人会員15,000円)[22]、その後、1998年(平成10年)4月変更後の月7,000円を経て2014年(平成26年)1月から現行の月9,000円(法人会員15,000円)と推移している(地方会員の特例会費について記載を省略)
  3. ^ 同ビルの建替えについては、国際ビルヂングの項目を参照。
  4. ^ 退任前の2019年5月15日には卓話の企画が催されており、その後次期会長の選任と同時に最高顧問に就任した[34]。2023年1月29日死没に伴い、最高顧問退任。

出典

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  1. ^ 沿革”. 組織概要. 一般社団法人日本倶楽部. 2022年1月19日閲覧。 “平成30年6月6日、日本倶楽部は、創立120周年を迎えました。”
  2. ^ a b c 組織概要”. 一般社団法人日本倶楽部. 2023年3月25日閲覧。
  3. ^ 会長挨拶 【第20代会長】小村 武 - ウェイバックマシン(2023年7月7日アーカイブ分)
  4. ^ 入会金及び会費”. 日本倶楽部とは. 一般社団法人日本倶楽部. 2022年2月1日閲覧。
  5. ^ 公益目的支出計画実施報告書 (令和2年度)
  6. ^ 百年史, pp. 137–138.
  7. ^ 百年史, pp. 1–5.
  8. ^ a b 会長・副会長・理事・監事”. 一般社団法人日本倶楽部. 2021年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年2月2日閲覧。
  9. ^ 百年史, p. 5.
  10. ^ 創立 120周年に寄せて(石原会長ご挨拶)」(PDF)『日本倶楽部会報』第17号、2018年7月、 オリジナルの2022年1月29日時点におけるアーカイブ、2022年2月2日閲覧 
  11. ^ 百年史, pp. 118–119.
  12. ^ a b 日本倶楽部の120年” (PDF). 一般社団法人日本倶楽部. 2022年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年2月2日閲覧。
  13. ^ 百年史, p. 122.
  14. ^ 日本倶楽部とは”. 一般社団法人日本倶楽部. 2022年2月2日閲覧。
  15. ^ 一般社団法人 日本倶楽部定款” (PDF). 一般社団法人日本倶楽部. 2021年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年2月2日閲覧。
  16. ^ 授業料、入学料、検定料の額”. 東京大学. 2022年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年2月2日閲覧。 “入学料282,000円”
  17. ^ a b 百年史, p. 63.
  18. ^ 百年史, p. 83.
  19. ^ 百年史, p. 100.
  20. ^ a b 百年史, p. 102.
  21. ^ 百年史, p. 99.
  22. ^ 百年史, p. 109.
  23. ^ a b 日本倶楽部の年表” (PDF). 一般社団法人日本倶楽部. 2021年2月1日閲覧。
  24. ^ 百年史, pp. 141–152.
  25. ^ 百年史, p. 24.
  26. ^ 百年史, pp. 75–77.
  27. ^ 百年史, p. 82.
  28. ^ 百年史, pp. 85–93.
  29. ^ 「日本倶楽部会員総会開催される」『日本倶楽部会報』第33号、一般社団法人日本倶楽部、2022年7月、1頁。 
  30. ^ 「国際ビル」・「帝劇ビル」共同建替計画着手~帝国劇場・出光美術館の歴史と伝統を継承し、未来へ~』(PDF)(プレスリリース)三菱地所株式会社・東宝株式会社・公益財団法人出光美術館(連名)、2022年9月27日。オリジナルの2022年9月27日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20220927214944/https://www.mec.co.jp/j/news/archives/mec220927_kokusaiteigekibuilding.pdf 
  31. ^ 施設案内”. 日本倶楽部. 2023年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年2月3日閲覧。
  32. ^ 歴代会長”. 一般社団法人日本倶楽部. 2021年2月1日閲覧。
  33. ^ 百年史, pp. 153–162.
  34. ^ 午餐会卓話 石原信雄会長 「平成を回顧して」 2019.5.15」(PDF)『日本倶楽部会報』第21号、2019年7月、 オリジナルの2022年2月1日時点におけるアーカイブ、2022年2月1日閲覧。「令和時代初めての午餐会は5 月 15 日に開催され、卓話は石原信雄君(当時当倶楽部会長 現最高顧問)の「平成を回顧して」でした。」 
  35. ^ 日本倶楽部会長ご挨拶(日本俱楽部会報 2023年7月 第37号) - ウェイバックマシン(2023年9月24日アーカイブ分)、会長挨拶の日付は2023(令和5)年6月6日

参考文献

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  • 『日本倶楽部百年史』社団法人日本倶楽部、1999年5月27日。 NCID BA47022678 

関連項目

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外部リンク

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