日光脇往還

ウィキメディアの曖昧さ回避ページ
主要カテゴリ > 技術社会歴史 > 交通 > テーマ史技術史交通史 > 各国の交通史 > 日本の交通史 > 街道 > 日光脇往還

日光脇往還(にっこうわきおうかん)は、江戸時代八王子から日光まで、また鴻巣の追分まで、中山道と街道を同じくし、ここで分岐し袋村(埼玉県鴻巣市)・行田・上新郷(埼玉県羽生市)・利根川を川俣の渡しで越え、館林佐野栃木・今市と経て日光街道に合流する、1652年(承応元年)に往還に定められた街道である[1]。またの名は「日光裏街道」。

地図外部リンク
日光脇往還・旧道地図
全体図 江戸時代末期の旧道筋の地図。原則として明治初期に作成された陸軍迅速測図をベースとして作成。迅速測図範囲外の館林宿以北はWeb上の実踏調査報告に基づいて作成。

沿道では日光道、日光街道などとも呼ばれていたが、江戸と日光を結ぶ日光街道と区別するために、八王子街道(八王子道)、千人同心街道日光火の番街道館林道などとも呼ばれたが、沿道に残る遺構などでは日光街道とされているものが多いようである。その名の通り八王子千人同心日光勤番への移動のために整備された街道である。

遺跡としては、埼玉県日高市から鶴ヶ島市にかけての国道407号は「日光街道杉並木」という名称で杉並木が残るほか、東京都西多摩郡瑞穂町青梅街道との交点に「旧日光街道交差点」、東京都福生市玉川上水に架けられた橋には「日光橋」などの名称が残っている。また、埼玉県坂戸市には日光街道の碑が建てられている。

なお、佐野宿(天明宿)以北は日光例幣使街道、楡木宿以北は壬生通りと共通となる。

鴻巣以北の周辺の主要街道の略図。

宿場

編集
  • 八王子
  1. 拝島宿東京都昭島市
  2. 箱根ヶ崎宿(東京都西多摩郡瑞穂町
  3. 二本木宿埼玉県入間市
  4. 扇町屋宿(埼玉県入間市)
  5. 黒須宿(埼玉県入間市)
  6. 根岸宿(埼玉県狭山市
  7. 高萩宿(埼玉県日高市
  8. 坂戸宿(埼玉県坂戸市
  9. 高坂宿(埼玉県東松山市
  10. 松山宿(埼玉県東松山市)
  11. 吹上宿(埼玉県鴻巣市)(中山道と交差、袋村・鴻巣宿・江戸方面)
  12. 忍宿(埼玉県行田市
  13. 川俣宿群馬県邑楽郡明和町
  14. 館林宿(群馬県館林市
  15. 天明宿栃木県佐野市)(倉賀野方面)
  16. 富田宿(栃木県栃木市
  17. 栃木宿(栃木県栃木市)
  18. 合戦場宿(栃木県栃木市)
  19. 金崎宿(栃木県栃木市)
  20. 楡木宿(栃木県鹿沼市壬生方面
  21. 鹿沼宿(栃木県鹿沼市)
  22. 文挟宿(栃木県日光市
  23. 今市宿(栃木県日光市)
  • 日光

現在の平行道路

編集

開発などによって部分的にかつての道路が失われている区間も存在する。

関連項目

編集

脚注

編集
  1. ^ 埼玉県坂戸市にある「旧日光街道の碑」の案内文に「承応元年(1652年)に日光脇往還に定められ」と書かれている

外部リンク

編集