日光東往還
日光東往還(にっこうひがしおうかん)は、日光東照宮参詣の為に造られた日光街道の脇往還である。水戸街道小金宿 - 我孫子宿間の追分と日光街道石橋宿 - 雀宮宿間の追分を結んでいた。
地図外部リンク | |
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日光東往還・旧道地図 | |
全体図 江戸時代末期の旧道筋の地図。原則として明治初期に作成された陸軍迅速側図に基づいて作成。多巧宿~日光街道合流点は、迅速側図範囲外のため、Web上の実踏調査資料を参考にした。 | |
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概要
編集日光東往還は、水戸街道小金宿と我孫子宿の間、向小金より北東、かつての小金牧内、現在の柏市豊四季字新木戸(JR常磐線南柏駅付近)で分岐し、関宿、結城といった城下町を経て、日光街道石橋宿と雀宮宿の間、かつての河内郡茂原新田御料、現在の下野市下古山と河内郡上三川町鞘堂の境付近(JR宇都宮線宇都宮貨物ターミナル駅付近)で日光街道に合流する官道であった。その道程は20里34町(約82キロメートル)に及ぶ。参詣目的のほかに周辺大名の参勤交代や物資の輸送、庶民にも利用された。関宿道、結城街道、結城道、多功道という名称もあったほか、江戸幕府による正式名称は関宿通多功道であった。
現在、周辺住民からは旧日光街道と呼ばれるほか久世街道、結城街道などとも呼ばれる。前述の南柏駅付近を走る国道6号には「旧日光街道入口」という交差点も存在する。
宿場
編集現在の平行道路
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 千葉県立関宿城博物館公式ホームページより
- 千葉古街道歴史散歩 - 千葉国道事務所のページ。掲載の地図では実際の場所に対し、山崎宿が利根運河の反対側、諏訪神社が東武野田線の反対側になっているので注意を要する。