日下部三之介
日本のジャーナリスト
日下部 三之介(くさかべ さんのすけ、1857年1月22日(安政3年12月27日[1]) - 1925年(大正14年)1月2日[2])は、明治から大正時代の教育評論家。
経歴
編集陸奥二本松藩士[2]・日下部左平の長男[1]。福島県小学教則講習所卒[2]。
東京市督学、青山小学校長、大日本教育会理事、東京市会議員[3]、東京府会議員[2]、東京教育社長[1]などを歴任した。『教育報知』などの雑誌を発行し国家主義教育を主張した[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。