新藤凉子

日本の詩人 (1932-2022)

新藤 凉子(しんどう りょうこ、1932年〈昭和7年〉3月23日 - 2022年〈令和4年〉10月7日)は、日本の詩人。本名は古屋涼子(ふるや りょうこ)[1]。元『歴程』編集発行人[1]。元日本現代詩人会会長[1]。夫は古屋奎二(1931-2000、元産経新聞論説副主幹、近畿大学中国文化史教授)[2]

経歴

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1932年、鹿児島県生まれ[3][注釈 1]。幼少期を旧満州(現中国東北部)で過ごした[5]共立女子大学中退[3]。1952年(昭和27年)、東宝舞台に入社すると共に劇団東童に入団する[4]。1954年(昭和29年)、三木卓らと同人の詩誌『氾』に参加する[4]。その後、舞台衣装研究室を設立する[4]。文壇バーの経営もした[6]。1962年(昭和37年)、早稲田大学聴講生として学んだ後にヨーロッパに渡り[注釈 2]、日本に帰国後は草野心平の推薦で『歴程』同人となる[4][3]。1964年(昭和39年)、原作の「めひょう」がフジテレビの連続ドラマで放映される[4]

新川和江吉原幸子らと女性詩誌『現代詩ラ・メール』(1983-1993)で活躍。

1986年(昭和61年)、詩集『薔薇ふみ』で高見順賞受賞[5]。2007年(平成19年)、『薔薇色のカモメ』で丸山薫賞受賞[5]。2013年(平成25年)、河津聖恵三角みづ紀との連詩集『連詩 悪母島の魔術師』で藤村記念歴程賞受賞[6]現代詩人会会員。

1990年(平成2年)、熱海市に転居する。

2022年(令和4年)10月7日、間質性肺炎のため静岡県熱海市の病院で死去[5][7]。90歳没。

人物

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  • 1950年代、新宿で文壇バー「とと」を経営し、客であった水上勉と同棲していた。水上が直木賞を受賞すると、別の女との結婚を勧めたという[8]
  • 高橋順子と親しく、2005年には車谷長吉と三人で世界一周の船旅をした。
  • 檀一雄の小説『火宅の人』に出てくる実吉徳子(お葉)のモデルの一人。

著作

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  • 『薔薇ふみ』思潮社, 1985
  • 『新藤凉子詩集』思潮社 (現代詩文庫) 1989
  • 『薔薇色のカモメ』思潮社, 2006
  • 『曠野』

共著

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  • 『からすうりの花』吉原幸子, 高橋順子 思潮社, 1998
  • 『百八つものがたり』三木卓, 高橋順子 思潮社, 2001
  • 『地球一周航海ものがたり』高橋順子 思潮社, 2006
  • 『悪母島の魔術師』河津聖恵, 三角みづ紀 思潮社,2013

脚注

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注釈

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  1. ^ 宮崎県生まれとしている資料もある[4]
  2. ^ ヨーロッパに渡ったのは1963年とする資料もある[3]

出典

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  1. ^ a b c 「歴程」編集発行人で詩人の新藤凉子さん死去、90歳…詩集「薔薇ふみ」で高見順賞”. 読売新聞オンライン (2022年10月11日). 2023年12月25日閲覧。
  2. ^ 車谷長吉『世界一周恐怖航海記』文春文庫、143p
  3. ^ a b c d 新藤凉子」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E8%97%A4%E5%87%89%E5%AD%90コトバンクより2023年12月25日閲覧 
  4. ^ a b c d e f 丸山薫賞/平成19年度丸山薫賞決まる!”. 豊橋市. 2023年12月25日閲覧。
  5. ^ a b c d 詩人の新藤凉子さん死去”. 時事通信社 (2022年10月10日). 2023年12月25日閲覧。
  6. ^ a b 新藤凉子さん死去 詩人、詩誌「歴程」編集発行人”. 東京新聞 (2022年10月12日). 2023年12月25日閲覧。
  7. ^ “詩人の新藤凉子さん死去 「歴程」編集発行人 日本現代詩人会元会長”. 朝日新聞社. (2022年10月10日). https://www.asahi.com/articles/ASQBB5J3TQBBUCVL00Q.html 2022年10月10日閲覧。 
  8. ^ 車谷長吉「哀悼・水上勉」『雲雀の巣を探した日』『車谷長吉全集 第3巻』