新治村 (神奈川県)

かつて日本の神奈川県都筑郡にあった村

新治村(にいはるむら)は、1889年明治22年)4月1日から1939年昭和14年)4月1日まで存在した神奈川県都筑郡

にいはるむら
新治村
廃止日 1939年4月1日
廃止理由 編入合併
川和町都岡村二俣川村新治村田奈村中里村山内村中川村新田村横浜市
現在の自治体 横浜市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
都筑郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 横浜市、川和町、中里村、田奈村、都岡村
新治村役場
所在地 神奈川県都筑郡新治村
座標 北緯35度30分45秒 東経139度32分17秒 / 北緯35.51242度 東経139.538度 / 35.51242; 139.538 (新治村)座標: 北緯35度30分45秒 東経139度32分17秒 / 北緯35.51242度 東経139.538度 / 35.51242; 139.538 (新治村)
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概要

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神奈川県都筑郡中部の村。現在の神奈川県横浜市緑区の大部分(恩田川以北と長津田地区を除く)と、保土ケ谷区北部にあたる。

地理

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歴史

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沿革

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、中山村、寺山村、上猿山村、下猿山村、鴨居村、本郷村、台村、久保村、榎下村、十日市場村、上菅田村、新井新田が合併して成立。
  • 1939年昭和14年)4月1日 - 横浜市に編入。同日新治村廃止。同日に新設された港北区の一部となる。
  • 1969年(昭和44年)4月1日
    • 横浜市港北区から緑区が分区。旧村域のうち下記を除く地域が緑区となる。
    • 上菅田町、新井町(それぞれ旧上菅田村、新井新田)が保土ケ谷区に編入。

経済

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産業

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農業

『大日本篤農家名鑑』によれば、新治村の篤農家は「奥津徳兵衛、遠藤春吉、黒瀧喜三郎、小原太一郎、相原善太郎、斎藤庸、斎藤一造、土志田養蔵」などがいた[1]

  • 下猿山の磯貝徳三郎(農業)[2]
  • 下猿山の鈴木音蔵(農業)[2]
  • 下猿山の鈴木政五郎(農業)[2]
  • 下猿山の金子文吉(農蚕業)[2]
  • 久保の岩澤源吉(農業)[2]
  • 十日市場の石井三五(農業)[2]
  • 十日市場の田中徳三郎(農業)[2]
  • 十日市場の田中吉三郎(農蚕業[2]
  • 十日市場の田中順蔵(農蚕業)[2]
  • 十日市場の金子岡右衛門(農蚕業)[2]
  • 十日市場の加藤充太郎(農蚕業)[2]
  • 十日市場の吉川吉左衛門(農蚕業)[2]
  • 鴨居の岩岡久作(農業)[2]
  • 鴨居の黒瀧喜三郎(農業)[2]
  • 鴨居の柳下竹蔵(農業)[2]
商工業

交通

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鉄道

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現在は横浜線の鴨居駅十日市場駅横浜市営地下鉄グリーンラインの中山駅が存在するが、当時は未開業。

道路

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現在の地名

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いずれも大体の範囲。

横浜市緑区

横浜市保土ケ谷区

脚注

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  1. ^ 『大日本篤農家名鑑』272頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』都筑郡之部97 - 101頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月11日閲覧。

参考文献

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  • 小幡宗海編『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』神奈川文庫事務所、1900年。
  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。

関連項目

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