帷子川
帷子川(かたびらがわ)は、神奈川県横浜市を流れる二級河川[1]。工業用水三級[2]。
帷子川 | |
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保土ヶ谷区の柳橋付近を流れる帷子川 | |
水系 | 二級水系 帷子川 |
種別 | 二級河川 |
延長 | 17 km |
平均流量 | -- m3/s |
流域面積 | 57.9 km2 |
水源 | 神奈川県横浜市旭区若葉台 |
水源の標高 | 100 m |
河口・合流先 | 横浜港 |
流域 | 神奈川県横浜市 |
地理
編集帷子川本流の全域が神奈川県横浜市内を流れている。旭区若葉台団地に隣接し国道16号との間に挟まれた上川井町の警察犬訓練施設脇の畑と産業廃棄物埋め立て地に源を発し、源流から程ない場所に二重構造の人工河川として「上川井町小川アメニティ」が整備されている[3]。ここに湧き水のように見える排出口の開いた穴のついた岩があるが、これは人工河川用の揚水ポンプであり、自然の源泉ではない。その側にコンクリートで河岸の固められた細い本流があり、それを遡ると源泉にたどり着く。
保土ケ谷区を南東に流れ、横浜駅東口を取りかこむように流れ、万里橋(北緯35度27分47.8秒 東経139度37分21.3秒 / 北緯35.463278度 東経139.622583度座標: 北緯35度27分47.8秒 東経139度37分21.3秒 / 北緯35.463278度 東経139.622583度)のすぐ下流、西区のみなとみらい地区と神奈川区のポートサイド地区にまたがる場所で横浜港に注ぐ[4]。
現在の河口周辺の埋め立て以前の河口は平沼橋駅あたりであった。
治水
編集もともとは蛇行の激しい暴れ川で水害の多い川であったが、大戦以前は耕地の灌漑等を目的に利用されており、治水事業としては本格的な改修は行われていなかったが、水害を契機に[5]、 川の直線化や護岸工事など大規模な改修が進められ[5][6]、西谷から横浜駅付近に流す約7.5kmにわたる地下分水路[7][8]や、鶴ヶ峰駅付近の帷子川親水緑道[9][10]などの親水公園、川辺公園などが造られた。
流域の自治体
編集- 神奈川県
歴史
編集- 平安時代:袖ヶ浦と呼ばれた入り海が、現在の横浜市保土ケ谷区東端部まで湾入しており、現天王町付近の河口は帷子湊(かたひらみなと)と呼ばれ、橘樹神社付近は「かたひらの宿」「かたひらの里」として栄えた。
- 江戸時代:河口に河岸・船着き場があり、薪炭などの物流の地として栄えた[11]。
- 1707年(宝永4年):富士山の大噴火による降灰で川筋が埋まり[要出典]、河口も下流へ移動[要出典]。
- 1732年(享保16年):このころ川幅と河身の改修工事が行われたとの記録もある[12]。
- 1833年(天保4年)~1850年(嘉永3年):岡野新田が開発される[13]。
- 1839年(天保10年)~1867年(文久3年):平沼新田の開発[13]によって、河口が現在の平沼橋のあたりとなる。
- 1858年(安政5年):日米修好通商条約調印による神奈川(横浜)開港にあわせ、東海道と横浜港をつなぐため、芝生村(現在の浅間町交差点付近)と横浜村(現在の関内付近)の間に横浜道を開き、岡野新田と平沼新田の海岸側に新田間橋、平沼橋(現・元平沼橋)、石崎橋(現・敷島橋)を架けた[14]。
- 明治時代:絹のスカーフの輸出増大を受けて、染色・捺染工場が集まる[15]。八王子からの「絹の道」が通り、天王町が栄えた[16]。
- 1870年(明治3年):日本初の鉄道路線が着工し、路線を敷設するため当時の帷子川河口の沖合が築堤で埋め立てられる。
- 1923年(大正12年)9月 関東大震災後:国の復興事業として改修工事が行われる[17]。
- 1958年(昭和33年):台風22号(狩野川台風)による水害、堤防が決壊して数万戸が浸水[18]
- 1965年(昭和40年): 河口から下川橋の区間が二級河川に指定[17]
- 1970年度(昭和45年度):都市基盤河川改修事業による改修工事が行われる[8]。
- 1971年度(昭和46年):二級河川区間を上流の大貫橋まで延伸、支川の中堀川及び今井川を二級河川に指定[17]
- 1982年度(昭和56年度)〜1996年度(平成8年度):地下トンネルと帷子川分水路が整備される[8]。
- 2004年(平成16年)10月:台風22号により、横浜駅西口付近で9日18時ごろ帷子川の水があふれ[19]、ホテルの地下駐車場や飲食店街地下部分が浸水した[20]。
名称の由来
編集現在の横浜市保土ケ谷区天王町一帯は片方が山で、片方が田畑であったため、かつては「かたひら」と呼ばれていた。その地を流れていたので「かたびらかわ」と呼ぶようになったともされているが、名称の由来については諸説ある[5]。
神奈川の名称の由来説
編集神奈川の地名の由来は、帷子川(かたびらがわ)へ関東ローム層のなかの酸化した鉄分が流れだし 川をあかがね色に染めるからだといい「金川」と書くこともあるとする説もある。 神奈川の名称は文永三年(一二六六)五月の鶴岡八幡宮文書に「神奈河郷」として史上にあらわれる。神奈河郷は東京湾に注ぐ帷子川の河口を中心に数十村で形成する湊の郷村であった。江戸時代には四〇カ村を含む地域名“神奈川”となり、東海道にそった集落が神奈川宿と定められ、水陸交通の要地となった。 明治元年(一八六八)九月、明治政府は神奈川宿を中心に方一〇里の土地を管轄していた神奈川府を神奈川県と改称した。 これが県名神奈川のはじまりだが、管下の土地は旧幕領であったため分散していた。 明治五年二月、神奈川県は西は相模川、東は多摩川、北は多摩郡の地域を管下におさめ、 同九年五月伊豆国をのぞく足柄県を合併、同二十六年四月の三多摩分離まで最大の県域であった。(「神奈川県の歴史」 旧版より引用)
並行する交通
編集鉄道
編集道路
編集- 国道16号 八王子街道
川沿いの施設
編集2016年以前までは横浜駅付近の川沿いには十数軒のトタン製のおでん屋台が軒を連ねており名物となっていた。付近には警察からの「無許可営業の店舗は撤去する」旨の警告看板が立っているなどしていながらも、実態はどの店も数十年来営業を続けていたが、2016年1月末に撤去された[21]。
- 公園・散歩道・その他スポット
- 上川井町小川アメニティ - 最上流の若葉台団地に隣接する散歩道。
- 今川公園 - 上流の帷子川支流(横浜市旭区今川町[22])にある公園。
- 帷子川親水緑道 - 相模鉄道鶴ヶ峰駅(鶴ヶ峰は水流(つる)の所にある山の意)の北東側にある旧河川敷を利用した緑道。1988年(昭和63年)度完成[23]。園内は池・庭園ゾーン、せせらぎゾーン、広場ゾーンの三つのエリアからなる[10]。中堀川合流点には鶴舞橋(約600m)が架かる。河川改修により生じた旧川道を親水公園とする事例は各地にみられるが、横浜市:帷子川流域-川の姿と私達の遊び場(1992)によると、この河川は河床に低水路を造った事例でもあり、川幅30m、河床勾配300から800分の一になる河川は低水路に河原、瀬·淵、蛇行等を造り上げている[24]。帷子川は旭区の中心部で私鉄駅の近くの鉄道敷に沿った位置にありながら、 自然河川の溪谷的雰囲気を残した好事例とされこの公園の一部は庭園的に整備されているが、その他は湧水等も残し、川遊びのできる、また、バードサンクチュアリーの観察窓もある極めて自然的な環境の公園としている。その改修にあたっては、残された自然を活かしながら工事を進めるため、流域の小学校の学童に呼び掛け、現在の遊び場や希望を地図や絵にしてもらって参考にしているという。最初の工事区間700mでは河道中央部を30cmほど掘り下げ両側に同程度を盛り上げ、低水は直線としている。この上流500mほどは低水路を蛇行させ中洲等が造られたが、下流より盛土の流出が多いとのことであり、また、大きな石を据えた景観的にはやや異質になっているこのような低水路の計画では、改修前の流況をトレースすることが重要といわれ、蛇行ピッチは緩やかなほうが成功するようで、設計で横断面等を指示するのは複雑過ぎて無理があるとの経験者の意見があるほか、水工の応用や落差工の改善等、事例による研究が必要であるという。
- 川辺町公園 - 相模鉄道星川駅付近にある公園。
- はまみらいウォーク - 横浜駅東口方面とみなとみらい地区を結ぶ人道橋。
- ポートサイド公園 - ポートサイド地区南部の帷子川下流域(港湾部)沿いにある公園。
- 高島水際線公園 - みなとみらい中央地区北部の帷子川下流域(港湾部)沿いにある公園。
支川・派川
編集環境・生物
編集保土ケ谷区上星川付近には、かつて捺染業が多く存在した。この染色・捺染の染料を流すこと(生地を水に晒す工程)や周辺の生活排水や工場廃水などが増え始め、一時期は汚染が進んだ。 下水道の普及など状況は改善されつつあることや魚の放流などもなされた結果、自然が戻りつつあり、アユ[25]、神奈川県でも珍しいギバチ[26]のほかやホトケドジョウ、トウヨシノボリなど横浜市の2011年度の調査では全部で18種類の魚が確認されている[27]。また東日本大震災の復興事業として2013年よりサケの稚魚の放流が行われているが2019年時点では成長したサケが泳ぐ姿は確認されていない[28]。
横浜市環境創造局が発表している水質汚濁及び地盤沈下状況記者発表資料によれば帷子川の水道橋地点における生物化学的酸素要求量(BOD)の数値が1984年をピークに年々低下をみせ、1991年以降は5mg/Lを下回って安定しているなど水質の改善がデータ上でも見られる[29]。 現在では中流域のBOD平均値は1.0まで低下しており、これは神奈川県東部の河川で最も低い数値である。[30] 一方で2012年の環境科学研究所による調査では帷子川河口周辺では有機物や硫化物の濃度が高く、汚濁が進行していることが示され、水産用水基準による底質評価や七都県市底質環境評価では、夏には魚介類や底生生物にとって厳しい生息環境にあると判定された[31]。
エピソード
編集脚注
編集- ^ “横浜市 旭区 帷子川” (2017年11月6日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ “水質環境基準の類型指定の見直しについて” (PDF). 横浜市 (2000年8月). 2018年2月14日閲覧。
- ^ “帷子川の源流までってどうなってるの?”. はまれぽ (2013年8月5日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ “横浜の河川 帷子川水系”. 横浜市環境創造局政策調整部政策課 (2010年3月3日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ a b c “帷子川の紹介”. 横浜川崎治水事務所 (2017年2月9日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ “【ほどがやあれこれ】帷子川の治水” (PDF). 保土ケ谷区 (2010年12月22日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ “帷子川水系 帷子川分水路”. 横浜市環境創造局政策調整部政策課 (2010年3月3日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ a b c “帷子川都市基盤河川改修事業の効果について” (PDF). 国土交通省 関東地方整備局 (2016年11月28日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ “旭区を知ろう 施設案内 緑の施設 旭区の公園 帷子川親水緑道”. 旭区 (2012年3月29日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ a b 駅からさんぽ 2015 spring vol.28 (相模鉄道)
- ^ “わがまち保土ケ谷 歴史散歩”. 保土ヶ谷区 (2015年9月2日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ “帷子川水系河川整備計画” (pdf). 神奈川県. p. 5 (2014年12月). 2019年5月19日閲覧。
- ^ a b “岡野新田の開発に携わった岡野良親さんってどんな人?”. はまれぽ (2012年1月5日). 2018年2月15日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “西区歴史さんぽみち”. 西区 (2011年4月1日). 2018年2月15日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “かつて横浜市内に130社以上も存在した「捺染(なっせん)会社」の今を教えて!”. はまれぽ (2014年9月8日). 2018年2月15日閲覧。
- ^ “みどころ紹介 天王町・峰岡・常盤台”. 保土ケ谷区 (2015年9月2日). 2018年2月15日閲覧。
- ^ a b c “帷子川水系河川整備計画” (PDF). 神奈川県 (2014年12月). 2018年2月15日閲覧。
- ^ “横浜の河川は自然を意識して再生されるのか?”. はまれぽ (2011年12月26日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ “台風22号 首都圏を直撃した巨大台風 暴風雨により都市機能が麻痺” (PDF). 国土交通省. 2018年2月14日閲覧。
- ^ “地下施設の浸水対策について考えてみましょう” (PDF). 横浜市総務局危機管理室 (2005年1月13日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ “ビブレ前のおでん屋台は完全に姿を消したのか?後編”. はまれぽ (2016年3月1日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ “横浜市旭区 今川公園(いまがわこうえん)”. 横浜市旭区役所 (2017年8月3日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ 横浜市 旭区 帷子川親水緑道 横浜市旭区役所
- ^ 横浜市「帷子川流域-川の姿と私達の遊び場」、横浜市、1992年。
- ^ 帷子川かたびらがわでアユが誕生 〜よこはまで初確認!〜(横浜市環境創造局)
- ^ “旭区版 : 帷子川 : 絶滅危惧種「ギバチ」生息 : ボランティアグループが発見 水質改善の裏づけに”. タウンニュース (株式会社タウンニュース社). (2010年2月18日). オリジナルの2013年7月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “帷子川にはどんな魚がいるの?”. はまれぽ (2012年7月24日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ “帷子川にサケの稚魚放流”. 株式会社タウンニュース社 (2019年3月14日). 2019年8月14日閲覧。
- ^ “H19年度の水質汚濁及び地盤沈下状況記者発表資料”. 横浜市環境創造局 (2008年7月24日). 2018年2月14日閲覧。
- ^ 平成27年度公共用水域水質測定結果(平成28年12月)測定結果(付表)
- ^ “入江川派川・帷子川河口周辺における水質・底質等の調査”. 横浜市環境創造局 (2014年2月21日). 2018年2月14日閲覧。
関連・参考文献
編集- 『廻国雑記』1486年(文明18年)1487年(文明19年) - 聖護院道興准后(しょうごいんみちおきじゅごう)が東国を回遊したときの記録。解説書に『廻国雑記 旅と歌』(栗原仲道 編 名著出版 2006年1月 ISBN 4-626-01701-0)がある。
- 相鉄瓦版 第119号 2003年(平成15年)7月1日 連載「相鉄沿線時代物語 第16回 星川の巻」
- 斎藤長秋 編「巻之二 天璇之部 帷子川」『江戸名所図会』 一、有朋堂書店、1927年、572,574-575頁。NDLJP:1174130/292。