新右エ門新田
埼玉県さいたま市見沼区の大字
新右エ門新田(しんうえもんしんでん)は、埼玉県さいたま市見沼区の大字である。郵便番号は337-0045[2]。
■新右エ門新田 | |
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北緯35度54分7.45秒 東経139度39分2.73秒 / 北緯35.9020694度 東経139.6507583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市 |
区 | 見沼区 |
地域 | 大宮地区 |
人口 | |
• 合計 | 87人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
337-0045[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
地理
編集埼玉県東部、さいたま市見沼区の西部に位置する。もと見沼の低地で南北に細長く、東西を大宮台地に挟まれている。当地区の北と南は上山口新田となっている。また、東側は中川、西側は大宮区天沼町と隣接する。 当初は新右衛門新田であったが現在は新右エ門新田と綴る[4]。地内は全域が市街化調整区域であり[5]、人家は少なく、ほとんどが田畑や河川区域および自動車教習所等となっている。人家は古くから存在し、台地の縁に沿ってカーブしながら南北に通る野路(現在の中川分水通り)沿いに立地する[6]。地区の西端を芝川が流れ、上流側から松山橋、高鼻橋、中川橋が架かり、左岸土手にサイクリングロードが整備されている[7][8]。
歴史
編集- もとは江戸期より新右衛門新田として周囲の村と同様に独立していた。武蔵国足立郡見沼領に属していた[4]。1728年(享保13年)、大宮宿の内倉新右衛門が開発し、新田となったことからこの地名が残る[4][9]。村高は享保年間では21石余、寛政年間以降では31石余であった。化政期の戸数は5軒で、村の規模は東西1町、南北6町余であった。用水は西縁用水の分水である砂村分水を利用していた。
- はじめは幕府領[4]で以降変遷なし。なお、検地は1731年(享保16年)および1789年(寛政元年)に実施。
- 1828年(文政11年)より大門宿寄場34か村組合に所属[4]。
- 幕末時点では足立郡新右エ門新田であった[10]。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[11]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。それに伴い、見沼領を冠称して見沼領新右衛門新田に改称される。なお、大宮宿の持添新田に大宮領新右衛門新田があり、1874年(明治7年)12月28日に新宿村と共に大宮宿に編入された[12][13]。
- 1889年(明治22年) - 見沼領新右衛門新田から見沼領が取れ、新右衛門新田に改称される。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、片柳村・山村・東新井村・中川村・笹丸村・御蔵村・染谷村・南中野村・南中丸村・上山口新田・西山村新田・新右衛門新田・加田屋新田が合併し、新たな片柳村が成立[10]。片柳村の大字新右衛門新田となる。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 片柳村が指扇村・馬宮村・植水村・春岡村・七里村とともに大宮市へ編入[14]。大宮市の大字となる。
- 1964年(昭和39年)4月 - 地内に「大宮自動車教習所」が設立される[15][16]。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 大宮市が、浦和市、与野市と合併しさいたま市となり、さいたま市の大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、見沼区の大字となる。
存在していた小字
編集- 中川下・八幡窪[17](八幡久保)
世帯数と人口
編集2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
新右エ門新田 | 38世帯 | 87人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[18]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | さいたま市立芝川小学校 | さいたま市立第二東中学校 |
交通
編集地内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅はさいたま新都心駅であるが[19]、道程が2 km近くあり徒歩圏ではない。
道路
編集- 埼玉県道214号新方須賀さいたま線 - 北部で掠める
- 中川分水通り[7] - 台地の縁沿いを通る
バス
編集地内には「大正坂」、「高鼻」、「宝乗院下」停留所が設置されている[7]。
施設
編集- 大宮自動車教習所
- 見沼辨財天宗像神社
脚注
編集- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月25日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 485頁。
- ^ 外部リンク節の『さいたま市地図情報』を参照。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 958頁。
- ^ a b c 『「街の達人」でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷』昭文社、2013年、99頁。ISBN 978-4-398-60135-3。
- ^ 外部リンク節の『さいたま市地図情報』では「ふるさと歩道」と記されている。
- ^ “さいたま来ぶらり通信 第20号” (PDF). さいたま市役所. pp. 1-2 (2012年11月15日). 2019年11月17日閲覧。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 230頁。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ 『大宮のむかしといま』 資料-7頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 184頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
- ^ 会社概要 東京通商.2019年11月5日閲覧。
- ^ 社団法人埼玉県指定自動車教習所協会が発行する機関紙「パーキング」第24号(2008年8月1日)[1]の会長対談「指定自動車教習所の日」にあたって[2]によると1960年(昭和35年)開所と解釈される記述がある。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1386頁。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ 埼玉県さいたま市見沼区新右ェ門新田の住所一覧 - いつもNAVI(ゼンリン). 2022年2月6日閲覧。
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 『大宮のむかしといま』大宮市、1980年11月3日。全国書誌番号:81007009、NCID BN03449939。
- 旧高旧領取調帳データベース