文学カフェ (サンクトペテルブルク)
文学カフェ(ぶんがくカフェ、ロシア語: Литературное кафе、英語: Literature Cafe)はロシア第二の都市・サンクトペテルブルクにあるカフェー・レストランで、プーシキンやドストエフスキーが出入りしていたのでその名がある。
歴史
編集文学カフェの歴史は18世紀中旬に建てられたビル(住所:ネフスキー大通り18番)を1812~15年にコトミン(K.B. Kotomin)がアパートメント「コトミン・ビル」(Kotomin House)として修復し、 [1] その1階にヴォルフ&ベランジェ(S. Wolff & T. Beranget)菓子店を開いた。1934年に中国カフェ(Cafe chinois)も開店して、菓子店を含めたそこはプーシキン、レールモントフ、シェフチェンコなどの文豪が集まるクラブ風場所になった。 [2]
1837年、プーシキンはここで介添え人(セコンド)のコンスタンチン・ダンザス(Konstantin Danzas)に会い、ジョルジュ・ダンテスとの決闘に臨んで、決闘で受けた傷がもとで二日後に亡くなっている。この数日後、フェオドル・グリンカ(F.N. Glinka)はレールモントフがプーシキンの死を悼んで書いた有名な詩「詩人の死」(Смерть поэта)をウラジミル・ブルナシェフ(V.P. Burnashev)にここで読んで聞かせている。1840年、ドストエフスキーはここで空想的社会主義を標榜するミハイル・ペトラシェフスキーに会っている。
1877年にこの菓子店は閉鎖され、その代りに高級レストランが開店し、チャイコフスキーやシャリアピンなどの音楽家が集まった。ある日、チャイコフスキーはそこで水を所望し、それが原因でコレラで1893年に亡くなったともいわれている。 [3]。
1858~2001年には地下に古本屋ができ広く知られた店になり、1978~81年にはビルが全面的に改修されて、1983年には「文学カフェ」が開店した。
現在
編集現在文学カフェは1、2階を占め、ここへ出入りした文豪の写真が飾ってあり、2階にはプーシキンの蝋人形がテーブルに向っている。カフェと呼ばれているがあらゆる料理、飲み物が出る普通のレストランで、サンクトペテルブルクの目抜き通りであるネフスキー大通りに面していて便利なので、観光客も訪れる名所になっている。ロシアの伝統にのっとって、詩の朗読会も時々開催されている。
コーヒーも飲めるが、ロシアの伝統的飲み物は紅茶であり、サモワールを使った紅茶も出て、ケーキを食べては紅茶を飲み、ジャムをなめては紅茶を飲む。ジャムを紅茶の中に入れることはしない。 [4]
その他のカフェ、文学カフェ
編集サンクトペテルブルクにはドーム・クニーギ(本の家、もとシンガー社ビル Дом компании «Зингер»)のカフェ、インターネット・カフェなど名の知られたカフェが沢山ある。モスクワには新アルバート通りにあるドーム・クニーギ(本の家)の文学カフェ などがある。[5] [6] 日本にも「Bundan Coffee & Beer」(日本近代文学館) [7]がある。
「文学カフェ」はまた、文学に関する有料または無料の講演会を、文学に関するインターネットサイトを意味することがある。 [8]
脚注
編集- ^ House of Kotomin (Saint Petersburg Ecyclopedia))
- ^ Wolff et Beranget Confectionery (Saint Petersburg Ecyclopedia))
- ^ Literary Cafe – Since 1816
- ^ 日本航空機内誌『Skyward』(2017年10月号)の「薄暮のティータイム」(文:平野久美子、写真:柳田詩乃)
- ^ Best coffee shops in Moscow
- ^ City Hunter: Top Bookshop Cafes in Moscow
- ^ Bundan Coffee & Beer
- ^ 文学カフェ 「エミール・ゾラ」 (L'Institut francais 横浜)
関連項目
編集- カフェ・プロコップ (パリ)
- カッフェ・フローリアン (ヴェネツィア)