撫墾署
日本統治時代の台湾に設置された機関
概要
編集1896年(明治29年)3月30日、台湾総督府撫墾署官制(勅令第93号)により台湾総督の管理下に設置された(4月1日より施行)[1]。8名の主事(奏任官)が各撫墾署長として、蕃民の撫育・授産・取締、蕃地の開墾、山林・樟脳製造に関する事務を掌った[1]。主事のほか判任官として技手、書記、通訳生が置かれた[1]。翌1897年(明治30年)5月27日、勅令第163号により職員数が主事11名、主事補(判任官)104名に改正[2]。1898年(明治31年)6月18日、勅令第108号により廃止され、その職掌は各弁務署第三課に引き継がれた[3]。
組織
編集台湾総督府令第12号により名称及び位置が定められ[4]、改制により各撫墾署に出張所が設置された[5]。
名称 | 署長(1897年2月時点[6]) | 位置(1896年時点[4]) | 出張所(1897年改制後[5]) |
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叭哩沙撫墾署 | 小野三郎 | 台北県宜蘭支庁叭哩沙 | 天送埤出張所、白米甕出張所 |
大嵙崁撫墾署 | 宮ノ原藤八 | 台北県大嵙崁 | 屈尺出張所 |
五指山撫墾署 | 山口義耀 | 台北県新竹支庁五指山 | 十股庄出張所、内湾出張所、上坪出張所、大河底出張所 |
南庄撫墾署 | 水間良輔 | 台北県新竹支庁南庄 | 加礼出張所、大東河出張所 |
大湖撫墾署 | 椙山清利 | 台北県苗栗支庁大湖 | 獅潭出張所、八角林出張所、水尾出張所、南湖出張所 |
林圯埔撫墾署 | 齊藤音作 | 台中県雲林支庁林圯埔 | |
東勢角撫墾署 | 欠員 | 台中県東勢角 | 大茅埔出張所 |
埔里社撫墾署 | 桧山鉄三郎[注 1] | 台中県埔里社支庁埔里社 | 蜈蚣崙出張所 |
恆春撫墾署 | 安積五郎[注 2] | 台南県恆春支庁恆春 | 内埔出張所 |
蕃薯藔撫墾署 | 川上親賢 | 台南県蕃薯藔 | |
台東撫墾署 | 相良長綱[注 3] | 台南県台東支庁台東 | 花蓮港出張所 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c 「御署名原本・明治二十九年・勅令第九十三号・台湾総督府撫懇署官制」 アジア歴史資料センター Ref.A03020233300 、明治29年3月30日。
- ^ 「御署名原本・明治三十年・勅令第百六十三号・台湾総督府撫墾署官制改正」 アジア歴史資料センター Ref.A03020290500 、明治30年5月27日。
- ^ 「御署名原本・明治三十一年・勅令第百八号・台湾総督府地方官官制改正台湾総督府撫墾署官制廃止」 アジア歴史資料センター Ref.A03020340700 、明治31年6月18日。
- ^ a b 『官報』第3926号「台湾総督府令」明治29年7月30日。
- ^ a b 施雅軒 2003, 113-115頁.
- ^ 台湾総督府民政局総務部 1897, 63-67頁.
参考文献
編集- 『台湾総督府民政局職員録 明治30年2月現在』台湾総督府民政局総務部、1897年 。
- 施雅軒『台灣的行政區變遷』遠足文化事業、2003年。ISBN 9867630122。