戸沢正諶

江戸時代の藩主 (1720-1765)

戸沢 正諶(とざわ まさのぶ)は、出羽新庄藩の第5代藩主。

 
戸沢 正諶
時代 江戸時代中期
生誕 享保5年(1720年
死没 明和2年9月20日1765年11月3日
別名 猪野七郎
戒名 智徳院仁山宗勇
墓所 東京都港区三田の常林寺瑞雲院
官位 従五位下、上総
幕府 江戸幕府
出羽国新庄藩
氏族 戸沢氏
父母 父:戸沢正庸、母:円成院
養父:戸沢正勝
兄弟 お虎、正賀正勝正諶庸祝正備正愛、はん、せの
正室:柳沢吉里の娘
正産正良、男、娘、娘(松平乗友正室、のち戸田忠喬正室)
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生涯

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享保5年(1720年)(異説として享保7年(1722年7月11日)、第3代藩主・正庸の四男として新庄で生まれる。元文2年(1737年)、父の隠居により兄の正勝家督を継ぐと、兄から7000石を与えられ、寄合衆に列せられた。延享2年(1745年8月13日、兄の養子となり、同年の兄の死去により家督を継いだ。10月18日に従五位下、上総介に叙任された。

宝暦5年(1755年)、積雪の被害で藩の被害が大きかったため(宝暦の飢饉)、幕府から3000石を借用して再建費用に当てたが、そのために幕府から藩政が良くないとして、処罰としてしばらく出仕を止められた。明和2年(1765年)9月20日に死去した。享年46。跡を長男の正産が継いだ。

系譜

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父母

正室

側室

  • 心涼院

子女

関連項目

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  • 新庄まつり - 宝暦6年(1756年)、飢饉により多くの餓死者を出したことから、領民に活気と希望を持たせると共に五穀豊穣を祈願するため、新庄城内の天満宮の祭典を領民挙げて行ったことが起源。