慈胤法親王
江戸時代の法親王
慈胤法親王(じいんほっしんのう、元和3年3月13日(1617年4月18日) - 元禄12年12月2日(1700年1月21日))は、江戸時代前期から中期にかけての法親王。父は後陽成天皇。母は土佐局。幼名は清宮。俗名は幸勝。法院号は常修院。
慈胤法親王 | |
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続柄 | 後陽成天皇第十三皇子 |
全名 | 幸勝 |
身位 | 親王 |
出生 |
元和3年3月13日(1617年4月18日) |
死去 |
元禄12年12月2日(1700年1月21日)(享年83) |
父親 | 後陽成天皇 |
母親 | 土佐局(中東時広女) |
役職 |
梶井門跡 天台座主 |
略歴
編集1629年(寛永6年)親王宣下をうけ、翌1630年(寛永7年)得度している。承快法親王のあとを受けて、梶井門跡(三千院)を継いでいる。その後1642年(寛永19年)・1650年(慶安3年)・1655年(明暦元年)と三度にわたって天台座主に任じられた。そのほか茶道や書・和歌に秀でていた。福岡藩主黒田忠之と親交が深く、複数の書簡が残る。黒田家の祀社紅葉八幡宮が建立された折には扁額に揮毫している。