恋路駅
かつて石川県鳳珠郡能登町恋路にあったのと鉄道の駅
恋路駅(こいじえき[2])は、かつて石川県鳳珠郡能登町恋路に所在した、のと鉄道能登線の駅。
恋路駅 | |
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ホーム(2018年4月、線路の再敷設後) | |
こいじ KOIJI | |
◄松波 (1.8 km) (0.8 km) 鵜島► | |
所在地 | 石川県鳳珠郡能登町恋路 |
所属事業者 | のと鉄道 |
所属路線 | のと鉄道能登線(廃止時) |
キロ程 | 48.2 km(穴水起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1964年(昭和39年)9月21日*[1] |
廃止年月日 | 2005年(平成17年)4月1日 |
備考 | 路線廃止に伴う廃駅 |
* 仮停車場として開業 |
概要
編集能登半島北東部にあり、近くに恋路海岸があることから命名された[2]。急行「のと恋路号」の停車駅だった。「恋路」というロマンチックな駅名であるため[注釈 1]、営業時には恋路駅行き切符の購入者や来訪者が多かった[2]。
駅名の縁起のよさから恋路駅行き記念切符の需要があったが、当駅は無人駅のため隣の松波駅で発行されていた[3]。現在は当駅跡地を保有・整備している宗玄酒造(後述)で入手できるほか[4]、穴水駅までの七尾線までの運行を続けているのと鉄道でも恋路駅行き切符を封入したキーホルダーを販売している[5][6]。
歴史
編集駅構内
編集単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅であり、ホーム上に待合所があるのみ。ホームは築堤上にあり、地上部とは階段で結ばれていた。
廃止後
編集能登町東隣の珠洲市に本社を置く宗玄酒造が2009年、恋路駅跡から北側のトンネル(宗玄隧道、約130メートル)までの約500メートルを含む一帯の土地を買い取った[2]。2011年の東日本大震災を受けて、宗玄酒造は、海抜約10メートルの高さにある宗玄トンネルを、津波に備えた日本酒の製品保護と熟成のため「隧道蔵」として使うことにした[2][8][9]。
旧恋路駅への観光客が多いことから、かつて鉄道が走っていた証しを残すことも兼ねて[2]、同社は宗玄トンネルと旧恋路駅間の約300メートルに線路を再敷設して、2013年4月1日から「奥のとトロッコ鉄道」(のトロ)を走らせている[9][10][11]。また、この「のトロ」は開設した2013年度のグッドデザイン賞を受賞している[12]。
駅周辺
編集隣の駅
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、157頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b c d e f g h i 【いいね!探訪記】恋路駅(石川県能登町)静かな鉄路 物語はどこまでも『朝日新聞』夕刊2022年11月19日3面(2023年1月8日閲覧)
- ^ 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』(JTBパブリッシング、2008年)151頁。ISBN 978-4-533-07145-4
- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻550号(2012年8月号)81 - 83頁
- ^ 切符を封入したキーホルダー単体では売っていない。商品は夫婦箸とのセット販売の形になっている。
- ^ “記念入場券”. のと鉄道. 2015年8月4日閲覧。
- ^ 『日本国有鉄道停車場一覧 昭和60年6月1日現在』(日本交通公社)48頁
- ^ 廃線めぐり(3)恋路に続く酒蔵トンネル『読売新聞』朝刊2017年5月5日
- ^ a b “北陸初のトンネル貯蔵酒を販売 低温熟成で味がまろやかに”. 石川県産業創出支援機構 (2013年4月5日). 2020年5月3日閲覧。
- ^ “廃線の線路をトロッコで走ろう! 石川・奥のとトロッコ鉄道が楽しそう”. Jタウンネット (2017年2月16日). 2020年5月3日閲覧。
- ^ “石川県珠洲市で「奥のとトロッコ鉄道」開業! 足こぎトロッコで奥能登を走る”. マイナビニュース. (2013年4月5日) 2020年5月3日閲覧。
- ^ 奥のとエリア活性化「トロッコ鉄道事業&日本酒のトンネル貯蔵をはじめとする酒蔵ツーリズムによる地域振興」 - グッドデザイン賞公式サイト
- ^ “〈1.1大震災~連載ルポ〉再び被災「来年はいい酒を」珠洲・蛸島の造り酒屋大打撃”. 北國新聞DIGITAL (北國新聞社). (2024年1月13日) 2024年1月20日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 能登町観光ガイド 奥のとトロッコ鉄道「のトロ」 - 能登町
- ほっと石川旅ねっと 奥のとトロッコ鉄道「のトロ」 - 石川県観光連盟