張 秋穀(ちょう しゅうこく、生没年不詳)は江戸時代の長崎に来舶した清人画家。日本に文人画の画法を伝える。来舶四大家の一人[1]。
名は初め昆のち莘(しん)。字は初め秋谷、後に秋穀に改めた。号に露香・西冷釣徒・鋤雲館など。杭州府仁和県の人。
幼い頃より画を好み倪瓚・呉鎮に私淑してそれぞれ山水図・蘭竹図を独学したという。
天明6年(1786年)に来日。天明8年(1788年)10月、春木南湖の訪問を受け費晴湖とともに筆談を交わし画法・書法を伝授している。
渡来時は秋谷(昆)と名乗ったが帰国後は秋穀(莘)に改称したと考えられる[2]。画風も一変し、秋谷は水墨画か稀に淡彩画で作品数も少なく、秋穀では主に彩色花鳥画となる。
秋穀の作は船載され、惲寿平の法に倣った没骨法を日本にもたらした。文人画家の渡辺崋山や椿椿山は大きく影響を受けている。
- 図録「花と鳥たちのパラダイス-江戸時代長崎派の花鳥図-」神戸市立博物館 1993年
- 馬場強「張秋谷と張秋穀」(図録「長崎を訪れた中国人の絵画展」長崎県立美術館 1983年)
- 春木南湖『西遊日簿』
- 浅野梅堂『漱芳閣書画銘心録』