弘憲寺
香川県高松市にある高野山真言宗の寺院
弘憲寺(こうけんじ)は、香川県高松市にある高野山真言宗の寺院。山号は利剣山。本尊は不動明王。法泉寺とともに讃岐生駒家の菩提寺である。
弘憲寺 | |
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所在地 | 香川県高松市錦町二丁目4番29号 |
位置 | 北緯34度20分51.7秒 東経134度2分24.6秒 / 北緯34.347694度 東経134.040167度座標: 北緯34度20分51.7秒 東経134度2分24.6秒 / 北緯34.347694度 東経134.040167度 |
山号 | 利剣山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 不動明王 |
創建年 | 1603年(慶長8年) |
開山 | 生駒一正 |
文化財 |
国の重要文化財:木造不動明王立像、密教法具 その他:地蔵菩薩立像、生駒親正肖像画 |
公式サイト | 公式サイト |
法人番号 | 8470005000148 |
歴史
編集伝承によれば、奈良時代の天平年間、現丸亀市飯山町下法軍寺に法勲寺が開基。しかし、少なくとも鎌倉時代以後に廃寺となり、本尊・寺宝を島田寺へ移した。その後生駒親正が讃岐に入封すると法勲寺を再建し、良純上人に寺務を執らせた。
親正の死後、息子の生駒一正は親正の墓所内(現在地)に法勲寺を移転し、親正の戒名(諡弘憲公)をとって弘憲寺と改称、古画・名器を島田寺から移転し、同寺を弘憲寺の末寺とした。
1868年(慶応4年)の鳥羽・伏見の戦いで幕府側についた高松藩は朝敵となり、迫る官軍の征討を回避するため二人の家老の首を鎮撫使に差し出した。1月18日、そのうちの一人の小河又右衛門が切腹したのが当寺である[1]。これによって結果的に高松を戦火から逃れさせることが出来た。
2016年、生駒親正着用の甲冑が秋田県由利本荘市の龍源寺から寄贈された。4代高俊が生駒騒動により1640年(寛永17年)に出羽国由利郡矢島に改易されてから376年ぶりの里帰りとなった[2]。
伽藍など
編集文化財・史跡
編集- 重要文化財(国指定)
- 木造不動明王立像
- 密教法具
- 木造地蔵菩薩立像
- 1913年(大正2年)8月20日指定。
- 高松市指定文化財
- 生駒親正肖像画
- 生駒親正公夫妻墓所
交通アクセス
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 高松歴史21景
- ^ “生駒親正の甲冑376年ぶり里帰り 秋田→高松・弘憲寺に寄贈”. 産経ニュース. (2017年2月21日) 2017年9月2日閲覧。
- ^ 【庵治石(あじいし)】 - 高松市
- ^ a b 弘憲寺・境内のご案内 - 弘憲寺ホームページ
- ^ 香川の文化財一覧 国・県指定史跡 - 香川県教育委員会生涯学習・文化財課