度会県

三重県の一部を管轄した県
度会府から転送)

度会県(わたらいけん)は、現在の三重県の一部を管轄した。本項では発足時の名称である度会府(わたらいふ)についても記す。

度会府庁跡(伊勢市岩渕二丁目近鉄宇治山田駅前、2013年4月撮影)

概要

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後年作成された1872年(明治4年)旧12月の行政区画地図における度会県

1868年慶応4年)に伊勢国内の天領(旧・幕府領、旧・旗本領)および伊勢神宮領などを管轄するために明治政府によって設置された。管轄地域は、当初は現在の三重県全域に分布していたが、第1次府県統合後は三重県南部のみとなった。1876年明治9年)の第2次府県統合で三重県と統合され、廃止された。

歴史

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管轄地域

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第1次府県統合以前

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第1次府県統合以降

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歴代知事

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度会府

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職名 氏名 就任 退任 備考
知事 橋本実梁 慶応4年7月6日(1868年8月23日) 明治2年7月17日(1869年8月24日) 公家

度会県

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職名 氏名 就任 退任 備考
知事 橋本実梁 明治2年7月17日(1869年8月24日) 明治4年11月22日(1872年1月2日) 前度会府知事
権令 明治4年11月22日(1872年1月2日) 明治5年2月17日(1872年3月25日 前度会県知事
参事 安岡良亮 明治4年12月18日(1872年1月27日 明治6年(1873年5月3日 土佐藩郷士
権参事 下山尚 明治4年11月22日(1872年1月2日) 明治8年(1875年12月7日 福井藩士
権令 久保断三 明治7年(1874年9月20日 明治9年(1876年)4月18日 山口藩

度会県プロジェクト

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三重県では県南部の関係人口を増やすことなどを目的として2018年(平成30年)8月から「度会県プロジェクト」を実施した[5]。このプロジェクトで三重県は「度会県復活」のPRを行い、プロジェクトの登録者である「度会県民」が地元の祭りに参加したり、都内などで交流するイベントなどが催された[5]。三重県では各市町で同様の取り組みが進んでいるとして2022年度(令和4年度)末で同プロジェクトを終了する方針を固めた[5]

脚注

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  1. ^ 度会府庁跡”. 三重の歴史・文化散策マップ. 三重県環境生活部文化振興課. 2020年1月18日閲覧。
  2. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 1983, p. 198.
  3. ^ 明治150年を機に「度会県」がバーチャル上で復活します! - 三重県ホームページ
  4. ^ a b どこにある?謎のバーチャル「度会県民」500人突破、朝日新聞デジタル、2018年10月9日。
  5. ^ a b c “「度会県」5年で幕 三重県プロジェクト、関係人口低調”. 伊勢新聞. (2023年1月21日). https://www.isenp.co.jp/2023/01/21/87438/ 2023年1月22日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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先代
山田奉行所
伊勢国内の幕府領旗本領
および伊勢神宮領)
久居県鳥羽県
行政区の変遷
1868年 - 1876年 (度会府→度会県)
次代
三重県