広瀬駿二
日本の大蔵官僚
来歴
編集山梨県出身。1941年10月 高等試験行政科を合格。同年12月に東京帝国大学法学部政治学科卒業[1]。1942年1月 大蔵省入省。預金部兼銀行局属[1]。1945年4月 福島税務署長。課長補佐、課長時代には主計畑を歩み、国税庁長官官房総務課長などを経て、1963年5月20日 関東信越国税局長。1965年6月18日 理財局次長。1967年8月4日 大臣官房財務調査官(大臣官房担当)。1967年11月7日 証券局長。1969年5月10日 退官。同年5月 関西経済連合会常務理事(〜1971年)。1971年9月 日本万国博覧会記念協会理事。1972年12月 海外経済協力基金理事。1973年1月 商工組合中央金庫副理事長(〜1981年9月20日)[2]。1981年 同顧問[3]。
職歴
編集- 1942年1月:大蔵省入省。預金部 兼 銀行局属[1]。
- 1942年3月:香港占領地総監部付。
- 1943年2月:陸軍司政官・香港占領地総監部付。
- 1944年7月:総務局。
- 1944年7月:大東亜大臣秘書官。
- 1945年4月:福島税務署長。
- 1946年8月:大臣官房文書課。
- 1948年6月:主計局。
- 1951年4月:主計局総務課長補佐。
- 1952年7月:主計局主計官付主査 兼 主計局総務課。
- 1952年8月:主計局主計官補佐。
- 1953年4月:主計局主計官(通商産業、運輸担当)。
- 1954年6月:主計局主計官(通商産業担当)。
- 1955年8月:行政管理庁管理部管理官。
- 1957年8月:行政管理庁行政管理局管理官。
- 1957年8月:主計局主計官 兼 主計局総務課(企画担当)。
- 1958年7月:主計局主計官(総理府、特別機関、司法・警察、大蔵担当)。
- 1960年7月:国税庁長官官房総務課長。
- 1963年5月20日:関東信越国税局長。
- 1965年6月18日:理財局次長。
- 1967年8月4日:大臣官房財務調査官(大臣官房担当)。
- 1967年11月7日:証券局長。
- 1969年5月10日:退官。
脚注
編集官職 | ||
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先代 吉国二郎 |
大蔵省証券局長 1967年 - 1969年 |
次代 坂野常和(心得) |
先代 佐竹浩(事務取扱) |
大蔵省理財局次長 1965年 - 1967年 |
次代 堀込聡夫 |
先代 鳩山威一郎 |
関東信越国税局長 1963年 - 1965年 |
次代 谷川寛三 |