広沢池
広沢池(ひろさわのいけ)は、京都市右京区嵯峨広沢町にある周囲1.3kmほどの池である。別名遍照寺池(へんしょうじのいけ)。
広沢池 | |
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所在地 | 京都市右京区嵯峨広沢町 |
位置 | |
周囲長 | 1.3 km |
成因 | 灌漑用 |
淡水・汽水 | 淡水 |
プロジェクト 地形 |
1969年(昭和44年)より歴史的風土特別保存地区の指定を受け、2010年(平成22年)には農林水産省のため池百選に選定された[1]。また、日本三沢[2]の一つにも数えられる。
かつては灌漑用として三十町歩の田圃を潤していたが、近年は鯉の養殖など養魚池として活用されている[3]。西岸には池へ突き出るような形の小さな人工島「観音島」があり、橋が架けられている。島の内部には石像の千手観音が祭られ、先端には弁天堂もある。
歴史
編集平安時代中期の989年(永祚元年)、寛朝僧正が朝原山の麓に遍照寺を建立する際、本堂の南に庭池として造営したと伝えられ、これが別名(遍照寺池)の由来となっている[4]。往時は観音堂、月見堂、釣殿、潜龍亭などがあり、月見の景勝地として、大宮人のみならず多くの人に親しまれてきた[4]。また、嵯峨野一帯を開墾した秦氏が溜池として造ったとの異説もある。
池は遍照寺の衰退と共に廃れ、寛永期には中島(通称観音島)も消失したが、明治時代中頃に地元の有志らが往時をしのんで島を築造した。島内に安置された総高160cmの十一面千手観音石像は、もと音戸山(現、鳴滝音戸山町)山上にあった蓮華寺の石仏群中から明治年間より借り出されている一体で[5]、現在蓮華寺 (京都市右京区)にある五体の如来座像と同じ願主・作者によるもの[6]。
夕顔 (源氏物語)のモデルになったともいわれる大顔(おおかお=具平親王の妾妻)が、10世紀の後半、月見の最中に池畔で急死する椿事があった[7]。
歌・俳句
編集古来から観月の池として知られ、数々の歌に詠まれている。
自然
編集池畔にはサクラ、カエデ、ヤナギが植樹され、マガモ、ケリ等の鳥類やトンボも多くみられ、地元の小学校の「自然観察教室」や「写生教室」などにも利用されている。
周辺環境
編集風物詩
編集脚注
編集- ^ 広沢池 - 農林水産省 - ため池百選
- ^ 京都市、広沢池、奈良市の猿沢池、宇佐市の初沢池
- ^ 嵯峨教育振興会編『嵯峨誌』嵯峨教育振興会、1999年、37頁。
- ^ a b 嵯峨教育振興会編『嵯峨誌』嵯峨教育振興会、1999年、38頁。
- ^ 光明正信・塚本珪一『京都の散歩みち』山と渓谷社、1982年、117、118頁。
- ^ 佐野精一『京の石仏』サンブライト出版、1978年、138、145、146頁。
- ^ 角田文衞『平安京散策』京都新聞社、1994年、74、188頁。
- ^ 広沢池を詠んだ句ではないとの説が定説のようである(菅井良治編『嵯峨の文学碑』さらんネット、2008年)
- ^ “師走の味、ピチピチ 広沢池で鯉揚げ”. 京都新聞. (2013年12月7日) 2013年12月7日閲覧。
外部リンク
編集- 広沢池碑 - フィールド・ミュージアム京都(京都歴史資料館)