広沢実方
広沢 実方(ひろさわ さねかた)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の武士。
時代 | 平安時代後期 - 鎌倉時代初期 |
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生誕 | 永治元年(1141年)[1] |
死没 | 不明 |
別名 | 波多野余三、広沢余三[1] |
幕府 | 鎌倉幕府 御家人 |
主君 | 源義朝、頼朝 |
氏族 | 波多野氏、広沢氏 |
父母 | 父:波多野義通[注釈 1] |
兄弟 | 波多野義常、大槻高義、波多野忠綱、実方、波多野義元、経因[2][3] |
子 | 実高、重則、遠経[3] |
生涯
編集相模国の有力な武士で、河内源氏類代の家人でもあった波多野氏の一族。久寿2年(1155年)大蔵合戦で源義朝の子・義平に従って戦功があり、翌年その恩賞として武蔵国新座郡広沢の地を賜ったという[注釈 2][1]。治承・寿永の乱でも源頼朝に従い、元暦元年(1184年)藤戸の戦いで戦功があった[1]。文治5年(1189年)奥州合戦に従軍[4]。建久元年(1190年)頼朝の上洛に子の実高らとともに随行[5]。建久3年(1192年)備後国三谿郡の12郷を賜る[1][6]。建久6年(1195年)再度の頼朝の上洛にも随行した[7]。