広島刑務所中国人受刑者脱獄事件
広島刑務所中国人受刑者脱獄事件(ひろしまけいむしょちゅうごくじんじゅけいしゃだつごくじけん)とは、2012年1月11日に広島刑務所から中国人受刑者が脱獄した事件である。受刑者が殺人未遂で収容されていた事から、警察庁が特別指名手配をした。
広島刑務所中国人受刑者脱獄事件 | |
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受刑者が乗り越えたと見られる東塀。 事件当時、写真の様に改修工事のため足場が取付けられていたことが脱獄を許した一因になっている。 | |
場所 |
日本 広島県広島市中区吉島町13-114 広島刑務所 |
座標 | |
日付 |
2012年1月11日 午前10時40分ごろ[注 1] (日本標準時) |
死亡者 | 0人 |
負傷者 | 0人 |
容疑 | 受刑者(40歳) |
動機 | 単純逃走(広島刑務所からの脱獄) |
背景
編集受刑者
編集中国籍受刑者の男(脱獄事件当時40歳 以下、C)は、窃盗を繰り返していたが、2005年5月に岡山市内で職務質問を受けた際に、警察官に向けて拳銃を発砲したため逮捕され、殺人未遂や銃砲刀剣類所持等取締法違反などにより、岡山地方検察庁に起訴された[1]。
岡山西警察署で勾留中の2005年6月には、逮捕時に受けた足の傷を治療する為、病院に行く際に警察官の隙を突いて護送車両を奪い逃走する事件を起こしていた(約30分後に逮捕される)。一連の罪状により裁判で懲役23年が確定し、広島市中区の広島刑務所に、2008年6月から服役していた。
Cは、2008年にも脱走を図っていた事が、後の報道で明らかになっている[2]。
刑務所
編集広島刑務所では脱獄当時、外塀の更新工事を2011年10月から2012年1月末の予定で行っていた。それに伴い、仮塀などが設置されたが、監視カメラの死角やセンサーなどが切られていた[3]。なお、広島刑務所は明治期の1888年に開設され、当時は周囲は郊外の農村部であったが、その後の都市化の進行により、住宅街の中にある刑務所になっていた。
逃走劇
編集2012年1月11日
編集2012年1月11日午前、広島刑務所の受刑者50人が運動のためグラウンドに出ていたが、10時40分ごろに点呼をとったところ、Cが所在不明になっていることが判明した[4]。
後に確認した監視カメラの記録映像には、10時30分ごろにCがグラウンドにある用具小屋の屋根に上り、高さ2.6mの塀を乗り越える様子が記録されていたが、監視する職員が見落としていた(監視員が少なかったため発見できなかった)。Cはその後雨樋をつたい事務所の屋上に上り、工事のために設置していた仮塀と工事中の外塀を足場などを利用して乗り越え、敷地外に逃走したとみられている。
なお塀の上には、本来は脱獄しようとして接触するとブザーが鳴る防犯線があったが、事件当時には工事のため取り外されており、役に立たなかった。
刑務所はCが敷地内にいるものとして捜索していたが、外部の市民からCと見られる下着姿の男がいたとの通報がもたらされ、脱走したと確信し、11時25分になって広島県警察に通報した[5][6]。また、Cの血痕が着地したと思われる場所に残されていた[7]。
Cの捜索は、広島県警の捜査員の他、広島刑務所の刑務官も動員して行われた。また警察庁は、社会への危険性が高いとして、特別指名手配に指定した。同庁によると、特別指名手配は1995年11月にオウム真理教信者2人を指定して以来、16年2カ月ぶりである。
警察犬の捜査で、東側200mの位置にある「吉島公園」で中国人受刑者の足跡は途絶えた[8]。
事件発生により広島市内の小中学校などでは、児童生徒は校内待機ののち、部活動を中止し保護者同伴で集団下校した[9]。
2012年1月12日
編集脱走したCであるが、1月12日の昼ごろ刑務所から西へ1.5Km離れた民家に空き巣に入った。衣類(ニット帽・ジャンパー・ズボン)や鞄を盗み、中にあった食料の飲食などを行った。それらの事実は、ビール缶に残された唾液のDNA鑑定で明らかになった[10][11]。また、その周辺で事務所侵入や車上荒らしなどを繰り返し行ったと見られた[12]。
2012年1月13日
編集県警は、Cが観音地区一帯に居ると断定。約500人の捜査員を投入して捜索した[13]。また、付近一帯のすべての橋に捜査員を配置して封鎖した[14][注 2]。
その結果1月13日午後4時半ごろ、刑務所から2Km離れた西区天満町[注 3]で女性捜査員が中国人受刑者を発見。職務質問で本人であることを認めた[5]。捜査員の連絡で応援のパトカーが来たときに、中国人受刑者は近くの建物の非常階段に逃げ込んだが、そこで身柄を確保された[15]。
関係職員の処分
編集事件発生後の1月13日付けで、広島刑務所長が更迭された(後に依願退職)。このほか、所長を含め13人の職員が減給や訓告などの処分を受けた。
また、事件発生当日の1月13日に内閣改造により、新たに就任した法務大臣小川敏夫は、1月18日に広島市役所を訪問し、広島市長松井一實に事件を謝罪している[16]。
裁判
編集2012年4月10日、広島地方裁判所で論告求刑公判が行われ、逃走や窃盗など5つの罪で中国人受刑者に懲役4年が求刑された[17]。同年5月22日、懲役2年4月の実刑判決が言い渡された[18]。その後、双方が控訴しなかったので判決は確定した。
注釈
編集脚注
編集出典の記事には実名が使われているのもあるため、それらの記事に関しては実名部を『(実名省略)』に置き換えている。
- ^ “中国人脱走受刑者を逮捕、広島市内路上で 54時間ぶり”. 日本経済新聞 (2012年1月13日). 2012年1月14日閲覧。
- ^ (実名省略)受刑者、警察に深い恨み<動画あり> - 中国新聞 2012年1月19日時点でのアーカイブ。 2012年1月14日
- ^ 中国籍脱走者を特別手配 オウム以来16年ぶり 日本経済新聞 2012年1月12日
- ^ “脱走の中国人受刑者、逃走容疑で逮捕”. 日本経済新聞 (2012年1月13日). 2012年1月14日閲覧。
- ^ a b “逃走容疑で(実名省略)容疑者を逮捕 小学校付近で身柄を確保”. 産経新聞. (2012年1月13日). オリジナルの2012年1月13日時点におけるアーカイブ。 2012年1月14日閲覧。
- ^ “「管理態勢に甘さ」 受刑者逃走 広島刑務所が謝罪”. 産経新聞. (2012年1月12日). オリジナルの2012年1月12日時点におけるアーカイブ。 2012年1月14日閲覧。
- ^ “広島刑務所脱走:着地場所に血痕、途中で公園に立ち寄る”. 毎日新聞. (2012年1月13日). オリジナルの2012年1月15日時点におけるアーカイブ。 2012年1月15日閲覧。
- ^ 広島刑務所脱走:「早く捕まって」 続く不安に住民憤り /広島 - 毎日新聞 2012年1月15日時点でのアーカイブ。 2012年1月13日地方版
- ^ “(実名省略)容疑者は中国残留孤児不良グループ「怒羅権」のメンバーか 支援者と接触の可能性も”. 産経新聞. (2012年1月12日). オリジナルの2012年1月12日時点におけるアーカイブ。 2012年1月13日閲覧。
- ^ “広島刑務所脱走、翌日に空き巣…缶ビールDNA一致”. 読売新聞 (2012年1月13日). 2012年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月13日閲覧。
- ^ “広島刑務所脱走:(実名省略)受刑者が空き巣 着替えや食事も”. 毎日新聞. (2012年1月13日). オリジナルの2012年1月15日時点におけるアーカイブ。 2012年1月13日閲覧。
- ^ “広島刑務所脱走: (実名省略)容疑者、逃走中に空き巣10件程度か”. 毎日新聞. (2012年1月14日). オリジナルの2013年5月1日時点におけるアーカイブ。 2012年1月14日閲覧。
- ^ “空き巣宅周辺、500人で捜索”. 中国新聞. (2012年1月13日) 2012年1月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “「刑務所に帰る 疲れた」所持金10円・・・脱走受刑者逮捕”. 読売新聞. (2012年1月14日) 2012年1月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “(実名省略)容疑者、身柄確保時「3日も食べてない」”. 産経新聞. (2012年1月13日). オリジナルの2012年1月16日時点におけるアーカイブ。 2012年1月14日閲覧。
- ^ 主な出来事-2012年1月 広島市役所HP
- ^ “刑務所脱走事件で懲役4年求刑 検察「国民に不安と衝撃」”. 西日本新聞 (2012年4月10日). 2012年5月25日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 脱走事件「職員胸に刻んで」 - 中国新聞 2012年5月30日時点でのアーカイブ。 2012年5月23日
参考文献
編集関連項目
編集- 広島拘置所尾道拘置支所脱獄事件 - 1965年に発生した死刑を宣告された被告人が脱獄した事件
- 脱獄広島殺人囚 - 松方弘樹演じる囚人が、幾度となく広島刑務所からの脱獄を図る映画
- 松山刑務所大井造船作業場脱獄事件 (2018年)
- 囚人
- 逃走の罪
外部リンク
編集- 動画
- 平成24年1月17日広島県知事会見(質疑2:広島刑務所からの脱走等) - 広島県 公式チャンネル
- 受刑者を脱走容疑で逮捕 刑務所2キロ、小学校そば - 共同通信社 公式チャンネル
- 平沢勝栄チャンネル2012年2月-5 脱走事件について - 平沢勝栄 公式チャンネル