平良ヶ崎館
平良ヶ崎館(へらがさきだて)、または平良ヶ崎城(へらがさきじょう)は、青森県三戸郡南部町にあった日本の城。南部町指定史跡[1]。
平良ヶ崎館 (青森県) | |
---|---|
別名 | 平良ヶ崎城 |
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 南部三郎光行 |
築城年 | 1192年(建久3年) |
主な城主 | 南部氏 |
指定文化財 | 南部町史跡 |
再建造物 | 南部町立南部中学校 |
位置 | 北緯40度24分46秒 東経141度16分38秒 / 北緯40.41278度 東経141.27722度 |
地図 |
座標: 北緯40度24分46秒 東経141度16分38秒 / 北緯40.41282028164度 東経141.277155928度
概要
編集平良ヶ崎城は中世の平城で糠部(三戸)五ヶ城の一つで、三戸城の北4キロメートルに位置する、南部町沖田面字南古館に所在した。かっては南部中学校敷地であったが現在は移転して更地[2]となっている。
この地は高山峠を越え、浅水を経て五戸方向に通じる道と八戸方向に通じる道との分岐点である。高山峠から南方に延びる丘陵端を空堀で切断している。
歴史・沿革
編集南部氏が建久2年(1191年)の糠部入部の際、三戸相内の観音堂で年を越えたが手狭な相内館に長くとどまらず、翌、建久3年(1192年)、初代南部三郎光行により築城し移って政庁が置かれた。
脚注
編集- ^ 「町指定文化財(3)史跡・天然記念物」南部町公式HP
- ^ (地図閲覧サービス) 国土地理院
参考文献
編集- 児玉幸多、坪井清足『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 2 青森県』角川書店、1985年12月1日。ISBN 4040010205。
関連項目
編集外部リンク
編集- 青森県三戸郡南部町役場
- 青森県 南部町観光協会 町指定史跡 平良ヶ崎城跡(南部町役場 名川分庁舎 商工観光課内)