平石武則
平石 武則(ひらいし たけのり、1960年2月26日 - )は、兵庫県出身のプロゴルファー。
Takenori HIRAISHI | |
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基本情報 | |
名前 | 平石 武則 |
生年月日 | 1960年2月26日(64歳) |
身長 | 180 cm (5 ft 11 in) |
体重 | 88 kg (194 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県 |
経歴 |
来歴
編集東洋大姫路高校時代は野球部に所属し、1977年の夏の甲子園で優勝した時のメンバーの一人で、「5番・左翼手」で好打のプレーヤーであった[1]。
卒業後にゴルフを始め[1]、正確なティーショットと小技を武器に、5年かけてプロテストに合格[2]。
1983年にプロへ転向し[1]、1988年の関西オープンでは大山雄三・小林恵一と並んでの6位タイ[3]、1989年の同大会では山本善隆・金山和雄・中村通・中川敏明に次ぐ5位[4]、1990年の関西プロでは中村彰男・甲斐俊光と並んでの10位タイ[5]に入った。
1992年にはよみうりサッポロビールオープンでは板井榮一・川俣茂・山本・稲垣太成と並んでの6位タイ[6]に入り、サッポロビール千葉オープンで初優勝[7]。
1995年にはPhilip Morris Championshipで7位[8]に入り、近畿オープンで2勝目[7]を挙げる。
1996年には2勝目を挙げた千葉オープン[7]、関西オープン[9] [7]を、クレインカップ真庭オープン[7]と後援競技3勝をマークし、水戸グリーンオープンで芹澤大介・中尾豊健に次ぐと同時に小溝高夫と並んでの3位タイ[10]に入った。
1997年には宇部興産オープンで横尾要・小達敏昭・中村と並んでの7位タイ[11]、1999年の同大会ではブラント・ジョーブ(アメリカ)と並んでの8位タイ[12]に入り、1999年には関西オープン2勝目[9] [7]を挙げる。
2001年にはアイフルカップで久保谷健一、ゾウ・モウ(ミャンマー)と並んでの8位タイ[13]、NST新潟オープンで近藤智弘と並んでの7位タイ[14]、サン・クロレラクラシックでアンドリュー・ボノム(オーストラリア)と並んでの8位タイ[15]と3試合連続十傑入りし[16]、久光製薬KBCオーガスタでは混戦模様の最終日に加瀬秀樹・桧垣繁正と共に通算15アンダーで並び、プレーオフでは4ホール目のパター勝負を制してプロ19年目での初優勝を手にした[17]。その後は三井住友VISA太平洋マスターズで尾崎将司・久保谷と並んでの6位タイ[18]、ゴルフ日本シリーズJTカップては深堀圭一郎・谷口徹と並んでの4位タイ[19]に入った。
2002年にはミズノオープンで宮瀬博文・藤田寛之・宮本勝昌、スティーブン・コンラン(オーストラリア)と並んでの5位タイ[20]、サントリーオープンではホ・ソクホ(韓国)、深堀・合田洋と並んでの8位タイ[21]に入った。
2004年には中日クラウンズで梁容銀(韓国)と並んでの7位タイ[22]、日本ゴルフツアー選手権では梁文冲(中国)、プラヤド・マークセン(タイ)、片山晋呉・河村雅之と並んでの6位タイ[23]に入った。
2006年の兵庫県オープンでは初日を11位タイでスタートするが、後半から左手首が痛み始め、内側に捻ると激痛が走るほど状態は悪かった[24]。最終日は前半を6アンダーで折り返すと、リーダーズボードのトップに井戸木鴻樹の名前があるのを見て闘志に火が点き、11番ロングでイーグルを奪い、後半だけで5アンダーと勝負強さを発揮[24]。最終18番で1mのバーディーパットを難なく沈め、井戸木を1打差で交わし、1イーグル、6バーディーの64、通算11アンダーで大会初優勝[24]。6月のアオノオープンに続く地元での勝利となり、賞金300万円と来季の日本プロの出場権を獲得したが、ホールアウト直後には左手首にアイシングを施すなど、ツアー競技に出場した先週末から連続のラウンドが大きな負担となった[24]。
2010年にシニアデビューすると、安定感のあるゴルフでファンケルクラシック2位タイ、富士フイルム選手権4位タイなど健闘し、賞金ランク13位に入った[25]。
52歳になった[1]2012年には鳥取県・大山ゴルフクラブの総支配人に就任し[2]、一旦はツアーから離れて[1]ビジネスに注力[2]したが、1年半のクラブを握れない生活から、再びシニアツアーに戻る[1]。復帰したての頃はパターの際にイップスに襲われて、手が思うように動かなくなり、長尺パターを使用する苦しみも味わった[1]。
2015年には日本シニアオープンに予選会から挑戦し、トップ通過で本戦に出場[1]。3日目に首位に立ち、最終日は前半を終わって室田淳・米山剛に並ばれての大激戦から二枚腰の粘りを見せ、4バーディー、3ボギーの71で抜け出す[1]。米山を1打差に抑えてシニア初優勝を日本タイトルで飾り、予選会から出場権を得ての大金星となった[1]。
主な優勝
編集- レギュラー
- 1992年 - サッポロビール千葉オープン
- 1995年 - 近畿オープン
- 1996年 - 千葉オープン、関西オープン、クレインカップ真庭オープン
- 1999年 - 関西オープン
- 2001年 - 久光製薬KBCオーガスタ
- 2006年 - アオノオープン、兵庫県オープン
- レギュラー
- 2015年 - 日本シニアオープン
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j 予選会から″シニア日本一”の大金星。突然?のビッグタイトルをつかんだ静かなる男・平石武則(55)
- ^ a b c ゴルフ真剣勝負 the MATCH 〜井戸木鴻樹vs平石武則〜
- ^ フルリーダーボード 関西オープン 1988 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 関西オープン 1989 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード 関西プロ選手権 1990 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード よみうりサッポロビールオープンゴルフトーナメント 1992 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ a b c d e f 平石 武則 ヒライシ タケノリ TAKENORI HIRAISHI
- ^ フルリーダーボード Philip Morris Championship 1995 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ a b 大会概要(大会歴史) | 関西オープンゴルフ選手権
- ^ 【公式】水戸グリーンカントリークラブ
- ^ フルリーダーボード 宇部興産オープン 1997 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード 宇部興産オープン 1999 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード アイフルカップ 2001 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード NST新潟オープンゴルフ選手権競技 2001 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード サン・クロレラ クラシック 2001 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 平石 武則選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 大会の軌跡|Sansan KBCオーガスタゴルフトーナメント2024
- ^ フルリーダーボード 三井住友VISA太平洋マスターズ 2001 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード ゴルフ日本シリーズJTカップ 2001 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード 〜全英への道〜 ミズノオープン 2002 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード サントリーオープン 2002 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード 中日クラウンズ 2004 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード 日本ゴルフツアー選手権 宍戸ヒルズカップ 2004 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ a b c d 2006兵庫県オープンゴルフトーナメント
- ^ 平石武則 プロフィール|GDO ゴルフダイジェスト・オンライン
- ^ 平石 武則選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site