平和橋 (中川)

東京都の橋
東京都道308号標識

平和橋(へいわばし)は、中川に架かる東京都道308号千住小松川葛西沖線(平和橋通り)のである。 右岸 (北詰) の東京都葛飾区東立石一丁目および東四つ木二丁目と左岸 (南詰) の東新小岩八丁目および西新小岩五丁目の間を結んでいる [3]。 現在の橋は、1960年竣工の2代目である。

平和橋
平和橋(2018年6月) 地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 東京都葛飾区
交差物件 中川
建設 1960年5月[1]
座標 北緯35度43分39.7秒 東経139度50分54.8秒 / 北緯35.727694度 東経139.848556度 / 35.727694; 139.848556
構造諸元
形式 PC単純桁橋[1]
全長 134.4 m[1][2]
15.0 m[1][2]
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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歴史

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架橋以前

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現在ある平和橋の両岸には明治時代には右岸に"薬師道"、左岸に"逆井道"という道路が中川に沿うように通っていたが、渡船場

った。

1947年の橋

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架橋まで

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国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの写真8912-C1-136を元に加工。1944年の架橋前の様子。

関東大震災の後の帝都復興事業に対応する形で 新たに決定した1927年 (昭和2年) 8月の東京府の都市計画の中に「補助線道路82号」(現在の 東京都道308号千住小松川葛西沖線のうち本田広小路ー八蔵橋間)があり、平和橋はこの新小岩駅(1928年開業)と本田町(1928年町制施行)を 直線で結ぶ新道路の一部に当たっている [4]。 道路部分は中川の両岸で開通していたものの、橋は終戦まで架けられていなかった。

 
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの写真USA-M372-148を元に加工。1947年7月の仮設橋の様子。

初代の橋は終戦間もない1947年 (昭和22年) 6月開通、橋長144.2 m、幅員6 mの仮設木製であった [5]。 竣工式は6月27日に行われたという [6]

カスリーン台風

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国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの写真USA-M636-A-No1-186 を元に加工。1947年11月の破損した平和橋の様子。
 
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの写真USA-M737-130を元に加工。1948年1月の様子。平和橋は既に復旧している。

架橋からわずか3カ月後の1947年 (昭和22年) 9月14日から15日にかけて関東地方カスリーン台風 の通過に伴う豪雨に見舞われた。その後、天候は回復しても中川の水位は上昇し続け9月19日には葛飾区長による避難命令が下される状況になり 最終的に橋の本田川端町側(現在の東立石、東四つ木)、約二分の一が落下した。 このとき平和橋同様に上流の奥戸橋、下流の上平井橋という木橋がともに落下しているが、これらの橋がしばらく手つかずの状態にある中、平和橋だけは10月中には復旧工事に取りかかっており、1947年 (昭和22年) 12月30日に復旧している [7][8][9]

1960年の橋

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国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの写真MKT636-C5-28を元に加工。1963年の現在の橋。
 
2018年現在の平和橋

1957年、仮設橋から永久橋への架け替えが決定し、1960年 (昭和35年) 5月、竣工した。

周辺

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隣の橋

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(上流) - 奥戸橋 - 本奥戸橋 - 平和橋 - 上平井橋 - 平井大橋 - (下流)

脚注

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参考文献

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  • 葛飾区教育委員会 『かつしかの橋 葛飾区橋梁調査報告書』、1989年

外部リンク

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座標: 北緯35度43分39.7秒 東経139度50分54.8秒 / 北緯35.727694度 東経139.848556度 / 35.727694; 139.848556