常林寺 (京都市)
京都市左京区田中下柳町にある浄土宗の寺院
常林寺(じょうりんじ)は、京都市左京区田中下柳町にある浄土宗の寺院で山号は光明山、院号は摂取院。北隣の長徳寺、南隣の正定院と共に、砂川の三軒寺と呼ばれる。京都では昔から「萩のてら」として知られる。
常林寺 | |
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山門 | |
所在地 | 京都市左京区田中下柳町33 |
位置 | 北緯35度1分46.6秒 東経135度46分22.7秒 / 北緯35.029611度 東経135.772972度 |
山号 | 光明山 |
院号 |
摂取院 (攝取院) |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 来迎阿弥陀三尊 |
創建年 | 天正元年(1573年) |
開基 | 念仏専修僧魯道 |
正式名 | 光明山摂取院常林寺 |
別称 | 萩のてら、萩の寺 |
札所等 | 砂川の三軒寺 |
法人番号 | 8130005000157 |
沿革
編集天正元年(1573年)2月15日、念仏専修僧魯道によって開創。天正19年(1591年)頃、豊臣秀吉の都市政策によって寺町通荒神口東入ル南側、御土居のそばに寺地が割り当てられ建立された。江戸時代に入ると、知恩院の役番として活躍した。寛文11年(1671年)1月15日、梨木町からの出火にり焼失。同年8月29日に現在地へ移転。26年の歳月をかけ、元禄11年(1698年)に第7世英譽によって現在の本堂が建立された。幕末には勝海舟の京都における宿坊で、子母澤寛の歴史小説『勝海舟』でも取り上げられている。
境内
編集- 本堂
- 本尊は来迎の阿弥陀三尊像。他に聖観音菩薩像や、菊紋入り衣に高下駄姿という異形をもつ帯刀僧形像などを安置。天井は、日展などで活躍した野村はるみによる草花図77枚で荘厳されている。
- 世継子育地蔵尊 - 嘉永7年(1854年)31世省譽祐禅建立
- 伝えによると、この地蔵尊は常林寺が建つ以前からこの地に祀られ、広く遠国にまで霊験が知られていた。近世以降は、寺の門前から若狭街道を往還する人々に親しまれ、鞍馬寺への途次に詣でる善男善女も多く、香煙が絶えなかったといわれる。現在の地蔵堂は、昭和7年(1932年)第36世霊誉によって建立。
- 萩のてら
- 常林寺の敷地は元々中洲で、地下は砂の層であり、萩がよく育つ。毎年根本から刈られるため季節外れには目立たないが、初秋には石畳が隠れるほど生い茂る。毎年9月中旬の日曜を中心に、『萩供養』が行われる。