帝位継承法 (ロシア帝国)
1797年4月5日の帝位継承法(ロシア語: Акт о порядке престолонаследия от 5 апреля 1797 года)は、ロシア帝国のロマノフ朝の家法の一つ。
経緯
編集- 軍事的な動きを伴った即位
- ロマノフ家の血を引かない即位
1797年4月5日(4月16日)にロシア皇帝・パーヴェル1世は、皇帝または皇后に帝位継承権者を指名することを認めたピョートル大帝の帝位継承法を廃止してこの法令を制定した。この帝位継承法ではそれまで曖昧だった帝位継承の順序を初めて明文化し、男性皇族や男系男子が優先的に帝位継承権を行使できると規定した。また、女性皇族や女系皇族は「男系男子が絶えた場合」という条件付きでの帝位継承権を認められたものの、女性皇族の帝位継承権行使を事実上制限する内容だった。
ニコライ2世が1906年に国家基本法を制定した際、帝位継承法は一部修正を経た上で国家基本法の第2章に編入されたため、独立した法律としては廃止された。
系図
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ミハイル・ロマノフ ①
1613–1645マリヤ・ミロスラフスカヤ
アレクセイ ②
1645–1676
ナタリヤ・ナルイシキナ
(摂政 1682)
(実質摂政 1689–1694)ソフィア
(摂政 1682–1689)
フョードル3世 ③
1676–1682
イヴァン5世 ④
1682–1696 共同統治
エヴドキヤ・ロプーヒナ
ピョートル1世 ④⑤
1682–1696 共同統治
1696–1725 単独統治エカチェリーナ1世 ⑥
1725–1727
エカチェリーナ
アンナ ⑧
1730–1740アレクセイ
(廃太子)アンナ
エリザヴェータ ⑩
1741–1762アンナ
(摂政 1740–1741)ピョートル2世 ⑦
1727–1730ピョートル3世 ⑪
1762 廃位エカチェリーナ2世 ⑫
1762–1796イヴァン6世 ⑨
1740–1741 廃位パーヴェル1世 ⑬
1796–1801 殺害アレクサンドル1世 ⑭
1801–1825ニコライ1世 ⑮
1825–1855アレクサンドル2世 ⑯
1855–1881 暗殺テロアレクサンドル3世 ⑰
1881–1894ニコライ2世 ⑱
1894–1917 帝政廃止