布橋
浜松市中央区の町
布橋(ぬのはし)は静岡県浜松市中央区の町名で、現行行政地名は布橋一丁目から布橋三丁目。住居表示実施済み[5]。
布橋 | |
---|---|
北緯34度43分11.17秒 東経137度42分49.74秒 / 北緯34.7197694度 東経137.7138167度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 静岡県 |
市町村 | 浜松市 |
区 | 中央区 |
面積 | |
• 合計 | 0.4022 km2 |
人口 | |
• 合計 | 2,350人 |
• 密度 | 5,800人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
432-8012[3] |
市外局番 | 053 (浜松MA)[4] |
ナンバープレート | 浜松 |
地理
編集浜松学院大学キャンパスや静岡大学附属浜松小・中学校などがある文教地区である。国道257号や静岡県道48号舘山寺鹿谷線など、交通量の多い幹線道路が町内を横切る。
歴史
編集1573年の三方ヶ原の戦いで敗走した徳川軍が一計を案じ、この地の犀が崖に白い布の橋を架け(雪の降る日だったという)、付近で野営中だった武田軍を夜襲して崖に追い落とし一矢を報いた、という伝承にちなんだ地名と言われている。しかし転落したのは、地理に不案内な武田軍が暗闇の中で崖を見誤ったためまたはあった筈の橋を落とされたためと考えるのが妥当であり、徳川軍が「布の橋をかけた」というのは後世の創作である。[6][7]
なお、この時の死者の霊を弔うため念仏供養をしたものが郷土芸能遠州大念仏として今に伝えられている。
布橋の地名が制定されたのは1966年で、それ以前は追分町、名残町、上池川町とに分かれていた。
世帯数と人口
編集2018年(平成30年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
布橋一丁目 | 282世帯 | 570人 |
布橋二丁目 | 521世帯 | 999人 |
布橋三丁目 | 376世帯 | 781人 |
計 | 1,179世帯 | 2,350人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
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布橋一丁目 | 全域 | 浜松市立追分小学校 | 浜松市立北部中学校 |
布橋二丁目 | 全域 | ||
布橋三丁目 | 11〜15番 | 浜松市立広沢小学校 | 浜松市立蜆塚中学校 |
その他 | 浜松市立追分小学校 | 浜松市立北部中学校 |
施設
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交通
編集バス
編集遠鉄バス
- 40気賀三ヶ日線・41高台線・43引佐線、45奥山線、46・46-テ都田線、47葵町医大線、48和合西山線(北高経由):(浜松駅 方面 - )さいが崖( - 聖隷三方原病院/気賀駅前/三ヶ日車庫/花川運動公園/奥山/都田駅前・フルーツパーク/医科大学/西山 方面)
道路
編集その他
編集日本郵便
編集警察
編集町内の警察の管轄区域は以下の通りである[10]。
番・番地等 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|
全域 | 浜松中央警察署 | 城北交番 |
脚注
編集- ^ 統計情報:土地・気象 - 町・字別面積(平成22年3月16日公表版) - 浜松市. 2018年12月14日閲覧 (PDF)
- ^ a b “区別・町字別世帯数人口一覧表”. 浜松市 (2018年12月5日). 2018年12月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年12月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年12月13日閲覧。
- ^ “住居表示実施状況”. 浜松市 (2018年1月4日). 2018年12月13日閲覧。
- ^ はままつ町名の由来. 神谷晶志著 静岡新聞社
- ^ 三方ヶ原の戦い. 小和田哲男著 学研
- ^ “小・中学校の通学区域”. 浜松市. 2018年12月13日閲覧。
- ^ 郵便番号簿 平成29年度版 - 日本郵便. 2018年12月13日閲覧 (PDF)
- ^ “交番・駐在所案内”. 浜松中央警察署. 2018年12月13日閲覧。