布多天神社

東京都調布市の神社

布多天神社(ふだてんじんしゃ)は、東京都調布市調布ケ丘にある神社式内社で、旧社格郷社

布多天神社

拝殿
所在地 東京都調布市調布ケ丘1丁目8-1[1]
位置 北緯35度39分24.2秒 東経139度32分43.9秒 / 北緯35.656722度 東経139.545528度 / 35.656722; 139.545528座標: 北緯35度39分24.2秒 東経139度32分43.9秒 / 北緯35.656722度 東経139.545528度 / 35.656722; 139.545528
主祭神 少彦名神
菅原道真[1]
社格 式内社(小)
郷社
創建 (伝)第11代垂仁天皇年間
本殿の様式 流造
別名 五宿天神[1]
例祭 9月25日[1]
地図
布多天神社の位置(多摩地域内)
布多天神社
布多天神社
地図
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布田五宿総鎮守であり、「五宿天神」の別名がある[1]

祭神

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当初は少彦名神を祭神としていたが、移転時に菅原道真公を合祀した。

延喜式に布多天神社の名があることから、菅原道真公を祀る以前から「天神社」と呼ばれている神社のひとつである。少彦名神を主祭神とする神社が「天神社」と呼ばれる例は各地にある。

創建

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創建年代は不明。社伝ではおよそ1940年前の垂仁天皇の御代の創建とされる。平安時代初頭の延長5年(927年)に編纂された延喜式神名帳武蔵国多磨郡に記述がある式内古社である[2]

元の社殿は現在の布田5丁目にあったが、文明年間に多摩川が大氾濫を起こしたことをきっかけとし、文明9年(1477)に現在地に遷座し、菅原道真公を合祀した[1]

室町時代天正18年(1590)年4月に豊臣秀吉小田原の北条を攻略する際、人々を安堵させるために出した「太閤制札」が神社所蔵として残る。

かつての社殿地には「古天神公園」と名付けられた公園が整備されている。この旧社地は昭和55年の発掘調査によって約1万年前の旧石器時代や、約4 - 5千年前の縄文時代の生活跡、約1,500年前の墓などが発見された。

布田五宿の村々(布田小島分村、上石原村、下石原村、上布田村、下布田村、国領宿)は、明治22年(1889年)に飛田給村、上ヶ給村と合併して調布町となり、調布町総鎮守となった。

境内

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文化財

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調布市指定文化財

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  • 有形文化財
    • 布多天神社本殿(附 棟札1枚)(建造物) - 1998年(平成10年)12月25日指定。
  • 有形民俗文化財
    • 布多天神社狛犬 1対 - 1969年(昭和44年)11月12日指定。
    • 布多天神社太閤の制札 - 1971年(昭和46年)9月8日指定。

骨董市

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毎月第2日曜日に骨董市が開催され、20 - 30ほどの店数が出る[3]

作品の舞台

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水木しげる作品

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水木しげるの『墓場の鬼太郎』『ゲゲゲの鬼太郎』では、本殿の裏の森に鬼太郎が住んでいるという設定である。調布市に住んでいた水木しげるは、大正寺墓地と地続きになっていた布多天神社の森を作品制作のヒントにしたという。テレビアニメ第6期では原作を踏まえ調布市を舞台として描いており、鬼太郎が境内の裏手に帰って行くシーンがある[4]

旧甲州街道からの参道は「天神通り商店街」として商店が立ち並び、町おこしとして『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する鬼太郎ら妖怪キャラクターの像が設置されている[4]

その他

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脚注

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参考文献

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関連文献

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  • 斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 布多天神社」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、298-299頁。NDLJP:1174144/154 

関連項目

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外部リンク

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