市田一貫
市田 一貫(いちだ かづつら、1899年(明治32年)11月14日[1] - 1942年(昭和17年)4月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
編集広島県出身[1][2]。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業[3]。1928年(昭和3年)陸軍大学校第40期卒業[4]。
1941年(昭和16年)3月、支那派遣軍参謀となり[2]、支那事変に出動する[1]。同年7月、北部軍参謀に転じ、翌8月、陸軍大佐に進み、11月には参謀本部船舶課長に補された[2]。大東亜戦争では緒戦の船舶調整に尽瘁したが、1942年(昭和17年)4月25日に墜死し、陸軍少将に没後特進した[1]。墓所は多磨霊園。
脚注
編集参考文献
編集- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。