左術

江戸時代後期の浮世絵師

左術(さじゅつ、生没年不詳)とは、江戸時代浮世絵師

来歴

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師系不明。天保13年(1842年)刊行の『広益諸家人名録二編』に「画 賢斎 名左術 神田於玉ヶ池 西沢民治郎」とあり、別号を賢斎、俗名を西沢民治郎と称し、神田於玉ヶ池の辺りに住んだことが知られる。『浮世絵師伝』によれば広瀬菊雄の話として、通称を「民さん」と云い、江戸堀江町二丁目(現在の日本橋小舟町)の団扇問屋伊勢屋惣右衛門方に寄食し、種々の団扇絵を描いた。左筆(左利き)だったので自ら左術と号し、また壮年で妻を迎えず、或る日無断で外出した後、遂に行方不明となったという。作画期は天保から嘉永の頃にかけてとされ、作は団扇絵「東都日本橋之晴朝」が残る。

参考文献

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