工藤隆治
大日本帝国海軍軍人
工藤 隆治(くどう りゅうじ、1878年(明治11年)8月5日[1] – 1966年(昭和41年)12月7日[2])は、日本の海軍軍人、政治家。徳島市長。最終階級は海軍主計大佐。
工藤隆治 くどう りゅうじ | |
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生年月日 | 1878年8月5日 |
出生地 | 徳島県吉野川市 |
没年月日 | 1966年12月7日(88歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学政治科 |
前職 |
日本製靴株式会社顧問 徳島市長 |
第15代 徳島市長 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1937年12月6日 - 1941年12月1日 |
経歴
編集徳島県麻植郡西尾村(現在の吉野川市)出身[1]。1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業[3]。海軍に入って、中主計、大主計、主計少監、主計中監、主計大佐と累進し、海軍省経理局第二課長・海軍大学校教官、広海軍工廠会計部長を歴任した[1]。1924年(大正13年)、予備役編入[1]。
1928年(昭和3年)、東京市主事・商工課長に就任[1]。1932年(昭和7年)に品川区長となり、1936年(昭和11年)からは下谷区長を務めた[1]。
1937年(昭和12年)、徳島市長に選出され、1941年(昭和16年)まで在任した。
その後、日本製靴株式会社顧問を務めた[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。
- 『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、1985年。