島根県立隠岐水産高等学校
島根県隠岐の島町にある高等学校
島根県立隠岐水産高等学校(しまねけんりつ おきすいさんこうとうがっこう, Shimane Prefectural Oki Fisheries High School)は、島根県隠岐郡隠岐の島町にある県立の水産高等学校。
島根県立隠岐水産高等学校 | |
---|---|
北緯36度13分15.8秒 東経133度20分21.1秒 / 北緯36.221056度 東経133.339194度座標: 北緯36度13分15.8秒 東経133度20分21.1秒 / 北緯36.221056度 東経133.339194度 | |
過去の名称 |
隠岐町村組合立甲種商船学校 島根県立隠岐商船学校 隠岐町村組合立商船学校 島根県立隠岐商船水産学校 島根県立隠岐水産学校 島根県立隠岐水産高等学校(第一次) 島根県立隠岐高等学校水産科 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 島根県 |
学区 | 県下全域・全国 |
校訓 |
真理と正義を愛せよ 勤労と責任を重んぜよ 心身ともにたくましく鍛えよ 熱・意気・団結 |
設立年月日 | 1907年(明治40年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 |
海洋システム科 海洋生産科 |
専攻科 |
漁業科 機関科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D132252800360 |
高校コード | 32134G |
所在地 | 〒685-0005 |
島根県隠岐郡隠岐の島町東郷吉津2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集- 設置課程・学科
- 全日制課程
- 海洋システム科 - 海洋テクノコース・エンジニアコース
- 海洋生産科 - 食品生産コース・資源生産コース
- 専攻科
-
- 漁業科
- 機関科
沿革
編集- 商船学校
- 1907年(明治40年)4月1日 - 「隠岐町村組合立甲種[1]商船学校」が設立される。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 県立移管の上、「島根県立隠岐商船学校」と改称。
- 1911年(明治44年)3月31日 - 島根県立隠岐商船学校が廃止される。
- 1921年(大正10年)4月1日 - 「隠岐町村組合立商船学校」(乙種)が設立される。
- 水産学校
- 1922年(大正11年)4月1日 - 浜田の島根県水産講習所と統合され、「島根県立隠岐商船水産学校」と改称。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 航海科の生徒募集を停止。
- 1936年(昭和11年)4月1日 - 商船に関する学科を廃止し、「島根県立隠岐水産学校」と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 水産学校の生徒募集を停止(1年生不在)。
- 新制中学校を併設し(島根県立隠岐水産学校併設中学校、以下・併設中学校)、水産学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたもので、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 水産学校3・4年修了者はそのまま水産学校に在籍し、4・5年生となる(4年で卒業することもできた)。
- 新制水産高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
- 水産学校は廃止され、新制高等学校「島根県立隠岐水産高等学校」が発足。
- 水産学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、水産学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立隠岐水産高等学校併設中学校)、1946年(昭和21年)に水産学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 高校三原則に基づく島根県内公立高校再編が行われる。
- 統合により「島根県立隠岐高等学校水産科」となる。校舎は従来のものを使用する2校舎体制をとる。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 統合を解消し、再び「島根県立隠岐水産高等学校」(現校名)となる。
- 2007年(平成19年)- 創立100周年を迎える。
著名な出身者
編集- 中川秀恭 - 宗教哲学者、元国際基督教大学学長、元大妻女子大学学長
- 横地治男 - ダイニッカ株式会社創業者
- 片山豊 - マルマン株式会社創業者
- 隠岐の海歩 - 大相撲力士(八角部屋所属)現 年寄 君ヶ濱
- 隠岐の富士和也 - 大相撲力士(八角部屋所属)
学校長
編集- 島内桓太 - 第8代学校長、海軍軍人(最終階級は海軍少将)