島居 辰次郎(しますえ たつじろう、1905年9月12日 - 1997年10月4日)は、日本の逓信官僚海上保安官海上保安庁長官広島県尾道市出身。

経歴

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広島県立福山中学校(現福山誠之館高等学校)、第一高等学校を経て1930年東京大学法学部卒業[1]。1930年、逓信省入省。1938年12月8日、ダグラス14人乗りの航空機DC-2(台北福岡ルート、フライトは台北のフィールド(この台北松山空港)から早朝6時30分、離陸、福岡、九州で飛ぶ)、"富士"がクラッシュを生き延びた[2]。北海道海運局、近畿海運局長などを経て1953年海上保安庁次長。1955年5月から1958年12月まで海上保安庁長官を務めた。退官後は特定船舶整備公団理事長、日本原子力船開発事業団理事長などを務めた。1979年勲二等旭日重光章授与。墓所は多磨霊園[3]

海上保安庁長官時代に「宗谷」を灯台補給船から南極観測船に仕立てた[4][5][6]

船に乗ってる間、ずっと絵を描いていたというほど絵が好きで、三木武夫運輸大臣を務めていた時、島居が三木に絵を描くことを勧め、これをきっかけに、無趣味だった三木が絵を描くようになった[7]。三木は当時は無名だった平山郁夫からも絵の手ほどきを受けたという[7]

晩年は東京都内幸町に本社のあったセナー株式会社の会長として、若い社員からも慕われる存在であった。

参考文献

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  • 鳥居鉄也、原田美道、鈴木康編 『南極外史』(日本極地研究振興会(丸善株式会社)、1981年)
  • 桜林美佐 『奇跡の船「宗谷」 -昭和を走り続けた海の守り神-』(並木書房、2006年)
  • 大野芳 『特務艦「宗谷」の昭和史』(新潮社、2009年)
  • 『新・人国記』(朝日新聞社、1963年)

出典

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  1. ^ 『新・人国記』朝日新聞社、249頁
  2. ^ 陳柔縉,"林進來:飛機即將墜海…然後會浮上來"[1],聯合報,台北市,2010.06.06-03:10am.(中国語)
  3. ^ 島居辰次郎”. www6.plala.or.jp. 2024年11月27日閲覧。
  4. ^ 『新・人国記』、250頁
  5. ^ 鳥居鉄也、原田美道、鈴木康編 『南極外史』日本極地研究振興会(丸善株式会社)、37-39頁
  6. ^ 日本財団図書館(電子図書館) 船の科学館 資料ガイド3 南極観測船 宗谷
  7. ^ a b 三木睦子『信なくば立たず 夫 三木武夫との50年』、講談社、1989年、308-312頁

外部リンク

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先代
山口傳
海上保安庁長官
第4代:1955年 - 1958年
次代
安西正道
先代
佐々木周一
日本原子力船開発事業団理事長
第3代:1975年 - 1978年
次代
野村一彦