ダグラス・エアクラフト
ダグラス・エアクラフト社(Douglas Aircraft Company )は、かつて存在したアメリカの航空機メーカー。
業種 | 航空宇宙 |
---|---|
その後 | マクドネル・エアクラフトと合併 |
後継 | マクドネル・ダグラス |
設立 | 1921年 |
創業者 | ドナルド・ウィルズ・ダグラス |
解散 | 1967 |
本社 | アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ, ロングビーチ |
製品 | 航空機 |
概要
編集設立
編集ドナルド・ウィルズ・ダグラスはマサチューセッツ工科大学出身でグレン・マーチンでチーフエンジニアを務めていたが、1920年にマーチンを去ってサンタモニカ(カリフォルニア州)でデービス・ダグラス社を設立した。1921年7月には共同出資者から事業を買い取って、社名をダグラス・エアクラフトに変更した。早くも1924年にはダグラスの航空機が世界初の世界一周飛行(ダグラス ワールド クルーザー)を行って社名が広く知れわたった。この成功にちなみ、ダグラス社はモットーとして"First Around the World - First the World Around"(世界初の世界一周)を唱え、地球を回る航空機を描いたマークを採用した。なお、このロゴはその後「球体(地球)を回るミサイルと航空機」を図案化したマークとなり、後のマクドネル・ダグラス、ひいてはボーイングにも引き継がれて現在まで使用されている。
当初ダグラスはアメリカ海軍向けに雷撃機を製造していたが、さらに雷撃機をベースとして偵察機や民間航空便向けの機体なども開発し、5年もしないうちに毎年100機以上の航空機を製造するようになった。初期の社員にはエド・ハイネマン(A-1スカイレイダーの設計者で後の社長)、ジェームズ・キンデルバーガー(後のノースアメリカン社長)、ジャック・ノースロップ(後のノースロップ社長)がいる。
拡大
編集1920年代後半には軍用機市場での地位を確保し、水陸両用車市場にも乗り出した。またサンタモニカのクローバーフィールドへ工場を移転している。サンタモニカの工場群は広大だったため、メール係はローラースケートを使って社内メールを配達していた。
1933年には民用双発機DC-1と、翌年にDC-2を製造し、続いて1936年には有名なDC-3を送り出した。DC-3はダグラスの民間部門を一躍トップシェアにした上に、軍の輸送機C-47 スカイトレインのベースになったことでも知られている。その後継機であるDC-4もベストセラーとなり、DCシリーズは近代的な旅客機の代名詞となった。多くのダグラス製航空機は非常に耐用期間が長く、DC-3やDC-4は21世紀初頭の今日も多数が現役である。
第二次世界大戦はダグラスに大きな成長をもたらした。大戦終結までにサンタモニカ、エルセガンド、ロングビーチ、トーランス、タルサ、ミッドウェストシティ、シカゴに工場を所有しており、1942年から1945年の間に約3万機が生産され、従業員は16万人に膨らんだ。
ダグラスは旅客機のみならず、アメリカ軍、特にアメリカ海軍とアメリカ陸軍航空隊、後のアメリカ空軍のために、SBD ドーントレスなどの艦上爆撃機、A-20 ハヴォック(ボストン)やA-26 インベーダーなどの軽爆撃機、中型爆撃機、戦闘機、C-47などの輸送機、偵察機、実験機といった多様な分野にわたる幅広い航空機を製造した。第二次世界大戦中にはボーイング及びベガエアクラフト(ロッキードの子会社)とともに B-17 を製造。大戦後はボーイングのライセンス下で B-47 を生産した。ダグラスは射出座席、空対空ミサイル、地対空ミサイル、空対地ミサイル、ロケット、爆弾と爆撃懸吊架といった関連分野でも先駆的だった。
マクドネルとの合併
編集1967年は、ダグラスは大型旅客機のDC-8と、その後ベストセラーとなったDC-9、A-4 スカイホーク攻撃機の需要に間に合わせるための増産に苦労した。ベトナム戦争のための資材不足により品質とキャッシュ・フローの問題はマクドネル・エアクラフト社との合併によるマクドネル・ダグラスの形成に同意することとなった。
ボーイングへの吸収
編集しかし、1997年にマクドネル・ダグラスもボーイング社に吸収され、75年以降のダグラス製航空機の製造は終了した。吸収合併後、マクドネル・ダグラス社が所有していたロング・ビーチの工場で設計された最後の民間機であるボーイング717(DC-9の派生型)は、2006年5月に生産を終えた。2009年現在、軍用機C-17 グローブマスター IIIがロングビーチにおける最後の生産機となっている。
製品
編集航空機
編集- ダグラス クラウドスター(1921年)
- ダグラス DT(1921年)
- ダグラス ワールド クルーザー(1923年)
- ダグラス O-2(1924年)
- ダグラス C-1(1925年)
- ダグラス M-1(1925年)
- ダグラス T2D(1927年)
- ダグラス BT-1/BT-2(1930年)
- ダグラス ドルフィン(1930年)
- ダグラス O-31(1930年)
- ダグラス B-7/O-35(1931年)
- ダグラス XT3D(1931年)
- ダグラス DC-1(1933年)
- ダグラス DC-2(1934年)
- B-18 ボロ(1935年)
- ダグラス DC-3(1935年)
- TBD デバステイター(1935年)
- ダグラス YB-11/YO-44/YOA-5(1935年)
- ダグラス DF(1936年)
- ダグラス DB-7 ボストン / A-20 ハヴォック(1938年)
- SBD ドーントレス(1938年)
- ダグラス DC-4E(1938年)
- XB-22(計画のみ)
- B-23 ドラゴン (1939年)
- XB-31(計画のみ)
- ダグラス DC-4(1939年)
- ダグラス DC-5(1939年)
- ダグラス XP-48(計画のみ)
- ダグラス XB-19(1941年)
- A-26 インベーダー(1941年?)
- ダグラス P-70(1942年)
- BTD デストロイヤー(1943年)
- XB-42 ミックスマスター(1944年)
- A-1 スカイレイダー(1945年)
- ダグラス C-74 グローブマスター(1945年)
- ダグラス XB-43(1946年)
- ダグラス DC-6(1946年)
- D-558-1 スカイストリーク(1947年)
- D-558-2 スカイロケット(1948年)
- F3D スカイナイト(1948年)
- ダグラス C-124 グローブマスター II(1949年)
- A2D スカイシャーク(1950年)
- F4D スカイレイ(1951年)
- A-3 スカイウォーリアー(1952年)
- X-3 ステレット(1952年)
- A-4 スカイホーク(1954年)
- B-66 デストロイヤー(1954年)
- ダグラス DC-7(1953年)
- F5D スカイランサー(1956年)
- C-133 カーゴマスター(1956年)
- F6D ミサイリアー(1958年)
- ダグラス DC-8(1958年)
- ダグラス DC-9(1965年)
- ダグラス DC-10 (1971年) 設計のみ。販売はマクドネル・ダグラス。
ミサイル及びロケット
編集- Roc I
- AIM-7 スパロー(1948年)
- AIR-2 ジニー(1956年)
- MIM-3 ナイキ・エイジャックス(1959年)
- MIM-14 ナイキ・ハーキュリーズ
- LIM-49 スパルタン/ナイキ・ジュース
- MGR-1 オネスト・ジョン
- PGM-17 ソー(ソア)
- デルタロケット
- S-IVB(サターンVロケット3段目のエンジン)