島定治郎
島 定治郎(しま ていじろう[1]、1877年(明治10年)3月5日[2] - 1935年(昭和10年)4月19日[3])は、日本の政治家(貴族院議員)[1][3]、商人(貿易商[4])、資産家[5]、大阪府多額納税者[6]、実業家。族籍は大阪府平民[4][6]。大阪株式取引所理事長島徳蔵の弟。
経歴
編集大阪府平民・島徳治郎の二男[4]。島徳蔵の弟[4][7]。慶應義塾に学んだ[6](1906年に特選[8])[注 1]。福島紡績に勤務[1]。1902年、分家して一家を創立した[6]。1904年、大阪市東区淡路町にて島商店を創業した[10]。貿易商を営む[2]。
日米板硝子、日本硝子工業、島貿易、城北土地各社長[3][11]、日新自動車代表取締役、日本板硝子、島商店、城北土地、大阪北港、大日本除虫粉各取締役、大阪アルカリ、満蒙毛織各監査役等をつとめた[4][6][7][11]。
1918年、貴族院多額納税者議員に当選し[4]、同年9月29日に就任して[12]同成会に所属[1]、一期在任し1925年9月28日に退任した[13]。
人物
編集大阪府多額納税者であり諸会社の重役であった[6]。住所は大阪市東区高麗橋[4]、三島郡山田村[6]、同郡茨木町[7][11]。
家族・親族
編集- 島家
→詳細は「島徳蔵 § 家族・親族」を参照
- 親戚
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 『議会制度七十年史 第1』196頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月6日閲覧。
- ^ a b 『大正人名辞典』1151頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月4日閲覧。
- ^ a b c 島 定治郎とはコトバンク。2017年10月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第6版』し45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月5日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第7版』し51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月5日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第9版』シ46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月5日閲覧。
- ^ 『慶応義塾塾員名簿 昭和4年版』862頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月5日閲覧。
- ^ 『慶応義塾総覧 大正3年』162-165頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月5日閲覧。
- ^ a b 会社案内、沿革、島貿易株式会社公式サイト。
- ^ a b c 『日本紳士録 第38版』大阪シ之部151頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月10日閲覧。
- ^ 『官報』第1848号、大正7年9月30日。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』203頁。
参考文献
編集- 慶応義塾編『慶応義塾総覧 大正3年』慶応義塾、1914年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 慶応義塾編『慶応義塾塾員名簿 昭和4年版』慶応義塾、1924-1942年。
- 交詢社編『日本紳士録 第38版』交詢社、1934年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。