岸本一美
日本の元フィギュアスケート選手 (1986-)
岸本 一美(きしもと かずみ、1986年6月29日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。
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生誕 |
1986年6月29日(38歳) 神奈川県横浜市 | |||||||||
身長 | 166 cm | |||||||||
選手情報 | ||||||||||
代表国 | 日本 | |||||||||
コーチ | 岡島功治[1] | |||||||||
所属クラブ | 日本大学 | |||||||||
ISUパーソナルベストスコア | ||||||||||
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経歴
編集1986年6月29日、横浜市鶴見区で生まれる。兄がスケートをしていたことがきっかけで、小学1年からスケートを始める[2]。喘息治療のため千葉県茂原市に転居した後は、茂原アスモアイスアリーナでスケートを続けた[3]。その後、北小金のスターランドアイススケートリンクへ、さらに岡島功治に師事するため新松戸アイスアリーナへ移り、同リンクが閉鎖されると岡島に伴って明治神宮外苑スケート場へと渡り歩いた。中学2年、14歳で3回転アクセルを習得した[4]。
2002-2003シーズン、全日本ジュニア選手権4位ながらも、フリースケーティングでの追い上げが評価されて世界ジュニア選手権に出場、4位と躍進。翌2003-2004シーズンに全日本ジュニア選手権優勝。全日本選手権でも2位となり注目を集める。2004-2005シーズンは四大陸選手権に出場した。
2005-2006シーズン、ISUグランプリシリーズ中国杯に出場、11位となる。しかし、全日本選手権4日前の練習中にアキレス腱断裂の大怪我を負ってしまい、その後出場を予定していた試合をすべて欠場[5]。暫くの間リハビリに励んだが、競技復帰には至らないまま現役を去った。
主な戦績
編集大会/年 | 1999-00 | 2000-01 | 2001-02 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 | 2005-06 |
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四大陸選手権 | 10 | ||||||
全日本選手権 | 13 | 16 | 2 | 5 | 棄権 | ||
GP中国杯 | 11 | ||||||
世界Jr.選手権 | 14 | 4 | 6 | ||||
全日本Jr.選手権 | 10 | 2 | 5 | 4 | 1 | 2 | |
JGPハルギタ杯 | 4 | ||||||
JGPハルビン | 3 | ||||||
JGPSBC杯 | 2 | ||||||
JGPソフィア杯 | 4 | ||||||
JGPベオグラード・スパロー | 8 | ||||||
JGPサルコウ杯 | 棄権 |
詳細
編集2005-2006 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2005年11月3日-6日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) | 10 53.14 |
9 104.60 |
11 157.74 |
2004-2005 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2005年2月14日-20日 | 2005年四大陸フィギュアスケート選手権(江陵) | 9 54.07 |
9 106.34 |
10 160.41 |
2004年12月24日-26日 | 第73回全日本フィギュアスケート選手権(新横浜) | 7 53.99 |
4 120.97 |
5 174.96 |
2004年11月20日-21日 | 第73回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(大阪) | 2 59.49 |
2 111.81 |
2 171.30 |
2004年10月12日-17日 | ISUジュニアグランプリ ハルギタ杯(ミエルクレア=チュク) | 9 46.12 |
3 105.76 |
4 151.88 |
2004年9月16日-19日 | ISUジュニアグランプリ ハルビン(ハルビン) | 4 51.76 |
3 98.62 |
3 150.38 |
2003-2004 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2004年2月29日-3月7日 | 2004年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(ハーグ) | 3 | 8 | 6 | 6 |
2003年12月25日-26日 | 第72回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | - | 5 | 2 | 2 |
2003年11月22日-23日 | 第72回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(京都) | - | 2 | 1 | 1 |
2003年10月16日-19日 | ISUジュニアグランプリ SBC杯(岡谷 ) | - | 2 | 2 | 2 |
2003年9月11日-13日 | ISUジュニアグランプリ ソフィア杯(ソフィア) | - | 3 | 4 | 4 |
2002-2003 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2003年2月24日-3月2日 | 2003年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(オストラヴァ) | 1 | 6 | 4 | 4 |
2002年12月19日-22日 | 第71回全日本フィギュアスケート選手権(京都) | - | 21 | 13 | 16 |
2002年11月23日-24日 | 第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(名古屋) | - | 10 | 1 | 4 |
2002年9月12日-15日 | ISUジュニアグランプリ ベオグラード・スパロー(ベオグラード) | - | 5 | 9 | 8 |
2001-2002 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2002年3月14日-16日 | 2002年ムラドストトロフィー ジュニアクラス(ザグレブ) | 1 | 1 | 1 |
2001年11月23日-24日 | 第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(東京) | 4 | 6 | 5 |
2001年11月1日-4日 | ISUジュニアグランプリ サルコウ杯(マルメ) | 9 | - | 棄権 |
2000-2001 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2001年2月26日-3月2日 | 2001年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(ソフィア) | 9 | 10 | 17 | 14 |
2000年12月8日-10日 | 第69回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | - | 10 | 13 | 13 |
プログラム
編集シーズン | SP | FS | EX |
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2006-2007[6] | 映画『座頭市』サウンドトラック 作曲:鈴木慶一 振付:佐藤紀子 |
アラビアン 振付:ウーシー・ケゼラー |
映画『キル・ビル』サウンドトラック 作曲:RZA 振付:佐藤紀子 |
2005-2006[7] | 映画『座頭市』サウンドトラック 作曲:鈴木慶一 振付:佐藤紀子 |
アラビアン 振付:ウーシー・ケゼラー |
This Business Of Love 映画『マスク』より 振付:佐藤紀子 |
2004-2005[6][7][3] | 映画『座頭市』サウンドトラック 作曲:鈴木慶一 振付:佐藤紀子 |
アラビアン 振付:ウーシー・ケゼラー |
映画『キル・ビル』より |
2003-2004[8] | オール・ザット・ジャズ ミュージカル『シカゴ』より 作曲:ジョン・カンダー 振付:佐藤紀子 |
決死 | - |
2000-2001[7] | ドラゴンハート 作曲:ランディ・エデルマン |
映画「ゲティスバーグの戦い 南北戦争 運命の3日間」より 作曲:ランディ・エデルマン |
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脚注
編集- ^ 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.35
- ^ 八木沼純子著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月、p.196
- ^ a b 『Cutting Edge』p.49
- ^ 『Cutting Edge』p.51
- ^ 『Cutting Edge 2007』p.82
- ^ a b 『Cutting Edge 2007 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年1月、p.91
- ^ a b c 『Cutting Edge 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2005年12月、p.92-93
- ^ 『Cutting Edge』pp.52-53