岡野 成韶(おかの しげつぐ、元文2年(1737年) - ?)は、江戸時代中期の旗本。通称、豊五郎、兵庫、登。岡野成路の二男[1]

兄、成信が早くに亡くなったため、安永2年(1773年)11月29日、37歳で家督を継ぐ。石高は1500石。同年12月22日、徳川家治御目見する。妻は中山直影の娘。兄弟に兄・成信、弟に成式がいて、後に成式を養子として迎えている。[1]

脚注

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  1. ^ a b 寛政重修諸家譜』第3輯 巻508 国民図書、706頁。

出典

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