岡部 長修(おかべ ながなお、延享3年3月29日1746年5月19日) - 寛政7年11月25日1796年1月4日))は、和泉岸和田藩の第7代藩主。岸和田藩岡部家8代。

岡部長修肖像(泉光寺所蔵)

第5代藩主・岡部長著の四男。子は岡部長備(長男)、岡部長祥(次男)。官位は従五位下。美濃守。駿河守。

岸和田で生まれる。幼名は鍋吉。兄で先代藩主の長住の実子のほとんどが早世したため、明和8年(1771年11月28日に兄の養嗣子となり、明和9年(1772年4月23日の長住の隠居により跡を継いだ。同年8月、村方に3か条触書を発布し、改元後の同年、安永元年12月に24か条の触書を発布し、後年岸和田藩の農政の模範とされた。兄と同じく病弱だったことから、安永5年(1776年8月18日に長男の長備に家督を譲って隠居した。

寛政7年(1795年)11月25日、50歳で岸和田にて死去した。墓所は大阪府岸和田市の泉光寺。