岡本幹輔
岡本 幹輔(おかもと かんすけ、1885年〈明治18年〉2月1日[1] - 1939年〈昭和14年〉2月25日[2])は、日本の政治家。衆議院議員。
岡本幹輔 おかもと かんすけ | |
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生年月日 | 1885年2月1日 |
出生地 |
日本 山形県飽海郡漆曽根村 (現・山形県酒田市) |
没年月日 | 1939年2月25日(54歳没) |
出身校 |
東京高等商業学校卒業 (現・一橋大学) |
前職 | 日本製鋼所社員 |
所属政党 |
(憲政会→) 立憲民政党 |
選挙区 |
(北海道5区→) 北海道4区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1920年5月10日 - 1924年1月31日 1928年2月20日 - 1930年1月21日 |
経歴
編集山形県飽海郡漆曽根村(現酒田市)で岡本敏貞の二男として生まれる[3][4]。1902年、山形県立荘内中学校を卒業し、さらに1906年、東京高等商業学校を卒業した[3][4]。同年7月、三井物産会社に入社し、札幌出張所、本店営業部などで勤務[3]。1914年8月、日本製鋼所に移り、横須賀出張所長、室蘭支店会計主任、同支店商務主任、同事務部次長、同労務係長を歴任[3][4]。その他、室蘭商業会議所特別議員、(株) 瑞穂商会顧問を務めた[2]。
1920年5月、第14回衆議院議員総選挙において北海道第五区から憲政会所属で出馬し当選[2]。第16回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算二期務めた[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 金子信尚編『北海道人名辞書』第二版、北海民論社、1923年。
- 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年。