岡山潔

日本のヴァイオリニスト

岡山 潔(おかやま きよし, Kiyoshi Okayama, 1942年11月9日[1] - 2018年10月1日[2][3])は、日本ヴァイオリン奏者[4][5]

岡山 潔
生誕 (1942-11-09) 1942年11月9日
出身地 日本の旗 日本 東京都中野区
死没 (2018-10-01) 2018年10月1日(75歳没)
学歴 東京藝術大学ハンブルク国立音楽大学
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

経歴

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東京都中野区生まれ。5歳の頃より音楽教師の父直躬にヴァイオリンの手ほどきを受けた。1961年に東京藝術大学に入学し、兎束龍夫ヘンリー・ホルスト、ヴィルフリート・ハンケ(Wilfried Hanke)の各氏にヴァイオリンの指導を受けた。

1968年には、ドイツ学術交流会の奨学生としてハンブルク国立音楽大学に留学し、引き続きハンケにヴァイオリンを学び、エヴァ・ハウプトマンに室内楽を師事。1970年にはベルリンで開催されたメンデルスゾーン・コンクールの弦楽四重奏部門で優勝し、ブリュッセルで妻の岡山芳子(旧姓:服部;後に愛知県立芸術大学教授)とウジェーヌ・イザイ『二つのヴァイオリンのためのソナタ』を演奏してイザイ・メダルを授与された。1971年にソリスト国家資格試験で最高位を得てハンブルク国立音楽大学を卒業し、ボン・ベートーヴェン管弦楽団コンサートマスターとして招聘された。

1984年にドイツ政府から功労十字勲章を贈られて帰国し、1991年まで読売日本交響楽団の第一コンサートマスターの任に当たった[6]。1990年に母校の東京藝術大学の教授となる。1993年にはエレオノーレ弦楽四重奏団を結成。2008年には自分の名前を冠した弦楽四重奏団を結成した。2013年、神戸市室内合奏団の音楽監督に就任。

2018年10月1日、東京都中央区にて脳腫瘍のため死去。享年75[2][3]

受賞・栄典

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脚注

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  1. ^ アーカイブ 2019年7月18日 - ウェイバックマシン
  2. ^ a b “岡山潔氏死去バイオリニスト”. 佐賀新聞. (2018年10月5日). オリジナルの2019年7月19日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/HQ28J 2019年7月19日閲覧。 
  3. ^ a b “バイオリニストの岡山潔氏死去”. 産経新聞. (2018年10月5日). オリジナルの2019年7月19日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/b5NHw 2019年7月19日閲覧。 
  4. ^ (パウ・レーベル)①昨年惜しくも世を去ったヴァイオリニスト岡山潔 自分の病の進行を知って過去の録音から自ら選曲! まさしく彼の音楽的遺言といえる作品集!②京都市交響楽団レーベル(パウ・レーベル扱い)取り扱い再開!”. 2019年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月19日閲覧。
  5. ^ アーカイブ 2017年4月8日 - ウェイバックマシン
  6. ^ Deutscher Akademischer Austauschdienst e. V., Bonn (Hrsg.) : DAAD Letter. Hochschule und Ausland. Nr. 4, Dezember 1984, S. 14-15.
  7. ^ 「叙位叙勲」『読売新聞』2018年10月27日朝刊