時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 文明18年4月1日(1486年5月4日) |
死没 | 享禄3年9月12日(1530年10月3日) |
戒名 | 龍雲院宗言 |
官位 | 従二位、権中納言、民部卿 |
主君 | 後柏原天皇 |
氏族 | 山科家 |
父母 |
父:山科言国 母:高倉永継の娘 |
兄弟 | 定言、言綱、女子 |
妻 |
正室:黒木の方(中御門宣胤の娘) 女嬬 |
子 | 言継、秦相光室?[1] |
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