山県就次
山県 就次(やまがた なりつぐ)は、江戸時代前期の武士。毛利氏の家臣で長州藩士。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長元年(1596年) |
死没 | 明暦2年5月17日(1656年7月9日) |
改名 | 山県久次→山県就次 |
別名 | 通称:喜三郎、宇兵衛、仁右衛門尉、太郎兵衛 |
主君 | 毛利秀就→毛利綱広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 安芸山県氏 |
父母 | 父:山県勝久、母:おあや |
子 | 就重、貴満 |
生涯
編集慶長元年(1596年)、山県勝久の嫡男として生まれた。勝久の死後にその後を継ぎ、毛利秀就・綱広の二代に仕える。
元和6年(1620年)10月9日、秀就から「就」の偏諱を与えられて名を就次と改め、同時に「仁右衛門尉」の官途名を与えられた。また、寛永5年(1628年)5月5日には「太郎兵衛尉」の官途名を与えられた。
出典
編集- 『萩藩閥閲録』巻79「山県与左衛門」