山田龍雄

日本の大蔵官僚

山田 龍雄(やまだ たつお、1893年明治26年)11月17日[1] - 1945年昭和20年)4月2日[2])は、日本大蔵官僚逓信次官

山田龍雄

経歴

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高知県出身。旧制高知県立第一中学校(現・高知県立高知追手前高校)、旧制第六高等学校を経て、1918年大正7年)に高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学法律科を卒業した[1]大蔵省では銀行局に配属した後[3]、司税官、税務監督局事務官、同書記官、銀行検査官、預金部書記官・監理課長、大蔵書記官・主計局予算決算課長主計局予算課長、内閣調査局調査官、大蔵省主税局長・醸造試験所長を歴任した[4]1937年(昭和12年)、大蔵省造幣局長に就任し、1940年(昭和15年)に逓信次官に転じた[1]

退官後は大日本翼賛壮年団副団長・本部長、帝都翼賛壮年団長を務めた[4]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c 日本官界名鑑 1940.
  2. ^ 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
  3. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、219頁
  4. ^ a b 人事興信録 1943.
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十五年版』日本官界情報社、1940年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。