山田透

日本のアナウンサー

山田 透(やまだ とおる、1951年10月20日[1] - )は、日本フリーアナウンサーキャスト・プラスTBSスパークル)所属。

山田 透
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 秋田県秋田市
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1951-10-20) 1951年10月20日(73歳)
身長 170cm
血液型 O型
最終学歴 明治学院大学
所属事務所 キャスト・プラス
職歴 ラジオ関東(1975年 - 1983年3月)
ニッポン放送(1983年5月 - 1996年12月)
活動期間 1975年 -
ジャンル スポーツ実況
公式サイト キャスト・プラス 山田透
担当番組・活動
出演中 ニッポン放送ショウアップナイター
tvkプロ野球中継 横浜DeNAベイスターズ熱烈LIVE
プロ野球ニュース
出演経歴 ラジオ日本ジャイアンツナイター
激生スポーツTODAY

1990年代後半より一時期、山田 くらのすけのマイクネームを用いてテレビ出演していたことがある。

来歴・人物

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秋田県の出身で、明治学院大学卒業後の1975年ラジオ関東アナウンサーとして入社。プロ野球中継競馬中継、電リク番組などを担当。

ニッポン放送のメイン実況アナウンサーだった深澤弘にスカウトされ[2]1983年にニッポン放送へ移籍。ニッポン放送では『ニッポン放送ショウアップナイター』の実況を担当した[1]

1996年12月にニッポン放送を退社した後は、『スポーツTODAY』(テレビ東京)の「激生実況」や、『プロ野球ニュース』(フジテレビONE)の試合報告アナウンサーをつとめる。2000年から2002年オフまで古巣のラジオ日本で「ラジオ日本ジャイアンツナイター」やナイターオフ番組などを担当していた。

2003年より、『ショウアップナイター』を中心に、実況アナウンサーとして再び活躍。ニッポン放送の退社後も、『ショウアップナイター』や、同局が裏送り向けに制作する中継では「ニッポン放送アナウンサー」という肩書を用いている。

アナウンサーを志したきっかけは、1964年東京オリンピック開会式の中継で北出清五郎鈴木文弥(いずれも当時はNHKのスポーツアナウンサー)の実況に感銘を受けたことにあるという。自身もニッポン放送時代の1992年ジャパンコンソーシアムの結成前)に民放ラジオ局のアナウンサーを代表してバルセロナオリンピックへ派遣されたばかりか、開会式の民放ラジオ向け中継で実況を担当している。

エピソード

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  • 一時期、山田くらのすけ(蔵乃助)という芸名を名乗っていたこともある。これは、彼の実家の家訓に「山田家の長男はある一定の年齢を過ぎたら『蔵乃助』を名乗らなければいけない」というのがあり、それに従ったものである。
  • プライベートではサウナとゴルフとガーデニングが趣味。
  • 小学校(秋田市立旭北小学校)の後輩に攝津正[要出典]、小学校と中学校(秋田市立山王中学校)の後輩に石山泰稚がいる。
  • スポーツアナウンサーとしては2020年までに、10種類以上の種目・競技の中継で実況を経験。

現在の出演番組

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ラジオ

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テレビ

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コマーシャル

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過去の出演番組

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かつてTBSニュースバードで放送されていたものは球団製作であるため、2010年まではtvkとTBSニュースバードが同じ内容で放送される試合に出演するケースもあった。
放送の時点でプロ野球実況歴1年半の「バズヒロ政輝」(毎日放送アナウンサーの三ツ廣政輝)に、実況の極意を伝えるゲストとして電話で出演。YouTubeとの連動番組で、収録の模様を収めた動画がMBSラジオ公式チャンネルの特設ページで公開されている。

脚注

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  1. ^ a b 松本秀夫『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』ぜんにち出版、2009年、ISBN 978-4-86136-122-7 243ページ
  2. ^ ニッポン放送 編『ショウアップナイター50年 プロ野球感動名場面完全読本』ベースボール・マガジン社、2016年、ISBN 978-4-583-11069-1 75ページ
  3. ^ TBSラジオが2017年限りで野球中継の自社での放送とJRN全国配信を終了した関係で、2018年からRKBラジオHBCラジオ(2021年からはCBCラジオも)への西武およびロッテ主催ゲームの裏送りと、オールスターゲームのJRN系列局との相互ネットを、原則として平日は文化放送が、土・日曜はニッポン放送が系列の枠を超えて担当しているため(DeNA主催ゲームは引き続きTBSラジオが裏送り限定で、巨人主催ゲームはRFラジオ日本が相互ネット・裏送りともに担当)。

外部リンク

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