山田泰親

鎌倉時代中期の武士・御家人

山田 泰親(やまだ やすちか、生没年未詳)は、鎌倉時代中期の武士御家人

来歴

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山田重親の三男。兄弟に重泰親氏、親遍があり、子に時重岡田時親らがある。室は小笠原清時の娘。仮名は三郎。尾張国上菱野城主。承久の乱朝廷方として戦った山田重忠の曾孫にあたる。

兄弟で鎌倉幕府への出仕が許され、泰親は弟の親氏と共に尾張国菱野(愛知県瀬戸市菱野町付近)の地頭に任じられたほか、同国鳴海荘に入部していた御家人小笠原清時(鳴海清時)の娘を娶り子の時重を儲けたとされる。晩年は出家し、弘安6年(1283年)頃、菱野の領内に本泉寺を建立したと伝えられる[1]

系譜

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脚注

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  1. ^ 本泉寺は 慶長18年(1613年)に約300m程北にある上菱野城跡地に移築され現在に至る。

参考文献

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関連項目

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