山本浩之 (1966年生の陸上選手)
日本の車いす陸上競技選手 (1966-)
来歴・人物
編集20歳の時、バイク事故がもとで脊髄を損傷して下半身麻痺となり、車いす生活となった。退院と同時に車いすバスケットボールに取り組み、10年ほどして車いすマラソンに転向した。パラリンピックや国際大会で日本代表選手として活躍した。
その一方で、2011年に高校生だった息子(妻の連れ子)を飲酒運転による事故で亡くしたことから、妻と共に被害者遺族の立場で飲酒運転撲滅に向けた活動を続けている[1]。
年齢が50代になっても車いすマラソンの大会に出場を続けていた[2][3]が、2021年の第40回記念大分国際車いすマラソンへの出場に向けて練習していた10月、心臓に痛みを感じ、心筋梗塞の疑いで入院した。原因は判明しなかったものの、心臓の力が2割程度落ちており、大会参加は辞退し、現役を引退した[4][5]。
主な記録
編集- 2007年
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- 大分国際車いすマラソン 2位(国内1位)
- 2008年
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- 仙台国際ハーフマラソン 優勝
- 北京パラリンピック フルマラソン6位入賞(トップと5秒差の1時間23分22秒)
- ニューヨークシティマラソン 8位
- 2009年
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- 大分国際車いすマラソン 2位(国内1位)
- 国際パラリンピック委員会認定の車いすマラソンT54クラス年間世界ランキング1位(※)
- 2011年
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- 東京マラソン 3位
- ソウル国際車いすマラソン 3位
- ソウル中央マラソン 3位
- 2012年
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- 東京マラソン 優勝
- 大分国際車いすマラソン 2位(国内1位)
- ロンドンパラリンピック 22位
- 接触によりタイヤが外れるアクシデントがあり、トップ集団から脱落し入賞の見込みが全くなくなったにも拘わらず、最後まで走り続け完走した。[6]
※出典:IPC公式サイト
その他
編集掲載記事
編集脚注
編集- ^ 「STORY」(光文社)2015年5月号p.324-325より(子供を亡くした母親についての特集記事で妻が取り上げられた)。
- ^ 「交通事故で亡くなった息子の死を「ムダにしないために」…54歳のランナーが挑む“最後の挑戦”」『テレ朝POST』2020年9月20日。2024年8月29日閲覧。
- ^ 真下信幸「車いすマラソン・山本浩之 最後の勝負に挑む「中年の星」」『毎日新聞』2020年7月21日。2024年8月29日閲覧。
- ^ 田中早紀「寛大、背中押せ―「飲酒運転ゼロ」背負い走った車いすマラソン引退」『西日本新聞me』2021年12月6日。2024年8月29日閲覧。
- ^ 倉富竜太「引退決めた「中年の星」、車いすマラソン山本さん 大分国際を断念へ」『朝日新聞デジタル』2021年11月16日。2024年8月29日閲覧。
- ^ ロンドンパラリンピック公式サイト内の記事
- ^ ホンダ公式サイト